2014年8月7日木曜日

「持論を常に熱く語る」。これが田辺流! <前編>

先日、当社の大切なお取引先様、大阪に本社をおく「マルコ株式会社」(以下、マルコ様)の方々が、研修を兼ねて小田原のカネボウ化粧品の主力工場にみえた。
マルコ様は、1978年、日本で初めてプロポーションを整えるための「体型補整下着」を完成させた、その道のリーディングカンパニーである。
以来、世の女性に夢と自信を与えることを使命とし、一貫して最高のモノづくりにこだわり、美しいボディラインと健康づくりを提案・提供する総合コンサルテーション企業として、お客様から高い評価を得ている。
全国各地のマルコショップのボディスタイリスト・コンシェルジュ(以下、スタイリスト)は、理想のプロポーションづくりに励むお客様からの絶大な信頼のもと、ゆるぎない顧客関係を築いているのだ。

そうしたマルコ様と当社が1997年に「アクセージュ」というボディケア化粧品を共同開発した。「アクセージュ」は当社の優れた処方技術および、植物エキスをはじめとする様々な成分と、マルコ様のコンセプトとお客様像を融合させてアクセージュボディシリーズとして発売した。2008年にはバストの肌に潤いとハリ、艶を与える「バストライブセラム(潤い・ハリ・艶効果)」と、肌を柔軟にしてハリを与える商品「ボディマッサージジェル(潤い・ハリ・柔軟効果)」が登場し、現在多くのスタイリストが自信をもってお客様におすすめし、お客様には、感触、効果、香りなどを感じていただき、ファンデーション(下着)と共に大変ご好評いただいている息の長い優れものである。



研修には全国から優秀なスタイリスト30名と幹部の方々が参加され、我々は緊張しつつお迎えした。研究・開発・製造のラインなどを見学していただき、その後、お客様との繋がり強化と接客力向上の秘訣などの話も聞きたい、というご依頼を受け、不肖、私の講演も企画させていただいた。
そこで、私は「出会いは人生の宝」と題して、“自己を高める大切さ”と“人との接し方を円滑にすすめるコツ”などをお話しした。

何の会社だろうが、業態、業種を問わず、業績向上に不可欠なことに「従業員のモチベーションアップ」「組織の活性化」があり、モチベーションアップ、良好な人間関係を如何に築くか、組織の活性化のためのマネジメント力をどう駆使するか、が大きな課題だと思う。


既成概念をぶっ壊して「感動」の数を増やそう。

言うまでもなく、我々は人と人との関係で成り立っていて、一人で生きていけないので、その課題の解決には、まず自分の「眼力を高める」ことだ。まずは相手を見る目を養うことが重要で、さらに自らを相手の本質に迫ることが出来るよう進化させることである。
眼力向上には「感性を磨く」こと。自分と関わり合いをもつ人に関心を寄せることから始める。以前ブログで紹介した「ザイアンスの法則」にあるように、今まで以上に相手の言動に関心をもつことで思わぬことが分かり、相手への好感度もアップするのだ。

我々は、どうしても印象という表面的な既存概念にとらわれ、それが邪魔して相手の本質を見失うことがある。「あの人、じっくり話してみると案外いいとこあるね」と、思った経験はないだろうか。あるとすれば、それは自身が見かけの印象にとらわれ、勝手に決めつけていた証拠である。しかも、それらは自身が体験し、知識として習得してきた狭い範囲内での尺度に過ぎず、世の中には、自身が知らないことが山ほどあることを忘れてはならない。

常に、感性を磨いていると、気付きの範囲も質が変わって、それまでの判断基準が変わるはずだ。今までより感心することが増え、感心する数が増えれば増えるほど感激する場面も2倍、3倍になる。その感激の深さの先には、人様にその感激を伝えたり、自ら行動に移したり、まさに「感動の領域」が拡大する。

今回、その既存概念を変化させる、感動領域の拡大のケーススタディとして、野口雨情作詞の童謡「シャボン玉」(野口雨情作詞 中山晋平作曲 1922年)を取り上げた。
まず、マルコの皆様と「シャボン玉」を歌った。

皆さんも会場にいるつもりで歌い、読みすすんでほしい。

シャボン玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた

風、風、吹くな シャボン玉とばそ

歌い終えたところで、この歌の背景をお話しした。
「シャボン玉」は、大正111922)年に雑誌『金の舟』に発表された童謡である。日本を代表する詩人、童謡、民謡作詞家である野口雨情には、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「あの町この町」など、思い出深い作品がいくつもあるでしょう、と。
そして、「シャボン玉」の作詞に関しては、1908年、妻ひろとの間に長女みどりをもうけたが、生まれて7日後に亡くなった。子煩悩な雨情はそのことをたいそう悔やんでいたという。当時は乳幼児が死ぬことは珍しい事ではなかった。しかもその後、雨情は何人かの子どもに恵まれているが、子どもを失う悲しさは尋常でなく、シャボン玉の歌の本質は「鎮魂」の思いだと言われている。
さらに、ある日、故郷の茨城県磯原村(当時)で少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、「娘が生きていたら今頃はこの子たちと遊んでいただろう」と思いながらこの「シャボン玉」を書いたと言われている。

こうした歌の背景をお伝えして、もう一度「シャボン玉」を口ずさんでもらった。
皆様、涙なしでは歌えなくなってしまった。
今までの「シャボン玉」の印象と異なったようだ。相手を知り、深く観察し理解することで、見方が変わることを多少なりとも実感していただけたように思った。背景を知っている私も喉が詰まってしまう。

ちなみに雨情は7歳の時に母親を亡くしており、童謡「七つの子」で子どもを思い泣いているカラスは、7歳の雨情を残して亡くなった母の心であるとも言われている。
カラス なぜなくの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ
可愛い 可愛いと カラスはなくの 可愛い 可愛いと なくんだよ  

多くの解釈・諸説があるが、私はこうしたことを知ると雨情の歌に人生のはかなさや命の尊さを深く感じてしまう。



大切なことは、一方的な見方や他者の受け売りだけで判断するのではなく、絶えず多面的に知ろうとする好奇心と、俯瞰して捉える鋭い感性をもつことである。「それって本当?」「ちょっと違うんじゃないの」といった小さな疑問、好奇心を抱いたり、視点を変えて見たり、真相、本質に近づこうとする心もちが、既成概念を崩すことや、新たな発見につながり、全く違ったより大きなものを包み込むものへと変化する第一歩かと思う。

田辺志保