2014年11月21日金曜日

人を見守る事のむずかしさを知る <後編>

友人から「最近、月日が経つのが早い、一年があっという間に過ぎるよな……。ジャネの法則って知ってる?」と言われた。19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネが発案して、甥のピエール・ジャネが著書で紹介した法則だという。

主観的に記憶される年月、時間の長さは年長者には短く、年少者には長く評価、感じられる現象を心理学的に説いたもので、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するそうだ。過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象、ということのようだ。

子どものころは、見るもの、触るもの、口にするもの、耳にすることすべてが初めての経験、出来事。日々、そうした新鮮な出来事に遭遇し、充実しているから一日が、一年が長く感じられるという。それから年を重ねて社会人となって、やること、なすことすべてが初めてという時期もあったが、社会人として一通り経験し、理解しているつもりの年齢になると、新鮮な驚きの出合いは減り、一年があっという間に過ぎてしまう。

ここ数年、私もそこに陥っている!?そんな自分を振り返ると、「あの頃もう少し頑張っていれば」とか入社直後「今ならあの時もっとこうしたのに」などと、後悔だらけだが、時間は平等に流れているはず。一日一日を充実感や満足感、達成感をしっかりと実感できる生活を送っていれば年齢に関係ないとも思う。だから、後悔しないような一日を送りたい。

人生脚本は、自分で描くもの

以前、柔道の練習で疲れ果てた息子が、風呂場の前で倒れていた。びっくりして見に行くとなんと寝ていた!こんな調子で、机に向かい勉強している姿を、最近、見たことが無い。

このままではいけないと思い、一年生最初のテスト前に最初が肝心と「平均80点を目指す」ことを約束させた。これでは、柔道バカが現実となる。親として、息子の人生脚本を修正しようと思い立ち、息子の前に悲惨な答案用紙を並べ「柔道以外の目標は?」と尋ねた。
すると「これから、80を目指す、それから90、次は100だ」と答えた。
私は「ほー、すごいな。今度はやる気満々だな」と胸をなでおろした。
ところが、次の言葉に茫然とした。
「うん、お父さん、握力80になると、リンゴが潰せて、90では10円玉が曲がるらしいよ。そして100を超えると簡単に10円玉は曲り、リンゴも粉々になるんだ!」目が点になった。


こともあろうにまだ続きがあった。
「それに握力が100になれば、相手が僕の組手を切ることは出来なくなるんだ」
家内が一言、「目標は『学力』でなく『握力』なのよね」と。

聞くと、通学のバスの中で、バネ製の握力器を毎日300回握っているらしい。あきれて返す言葉がみつからなかった。気も失せたが、「ふざけるな、文武両道こそ目指す姿」と息子を叱り飛ばした。しかし一方で、「そこまで突き抜けることは大したもんだ」と妙に感心して、たとえ親でも彼の脚本は変えられないとも思った。
冷静に、組織論的に考えると、彼の環境は柔道には最上の組織なのである。

理想の組織は、最大の活性化を実現する

組織論でよく「みこしを担ぐ」話がある。上位3割の社員がみこしを担ぎ、組織を引っ張り、4割の社員は引っ張られるように、みこしを担いだり担がなかったりで、残りの3割はみこしにぶら下がって足を引っ張っている、とされる。俗に「3・4・3の法則」とか「さ・し・みの法則」とか言われる。
勿論、理想の組織は、みこしを担ぐ引っ張り役の情熱集団の割合を増やし、足を引っ張るぶら下がり集団を減らすことであるが、そう簡単ではない。

学校の部活ならば、仲間との楽しい活動が基本なので、止める、止めないは自由である。昔のような鬼のような先輩も減ったし、クラブ活動は学問に支障を来さないといった空気が蔓延しているので、新入部員は夏を過ぎると、簡単にあきらめ、退部希望者が出てくる。結果的に、ぶら下がりは少なくなる。

しかし、会社組織では、採用が大きな投資であり、社員の活性化が会社の業績を左右するから一大事である。人材育成が、会社の人財になる。

社員の側からみれば、大志を抱いて入社したが、どうも上司が気に食わないとか、居心地がよくない、と感じる人が出てくる。ここで自分の殻を破れないまま数年も過ごすうちに、「まあこんなものか」と今の仕事での出来、不向きが分り始める。がそのまま転職の機を逃し、出世レースに身をまかせて走り始めると、勝手に己の行方を案じて、仕方ないとか、取りあえず、何となくといった諦めムードの「みこしぶら下がり予備軍」が出てくる。

理想の組織づくりに欠かせない管理職の役割として、半期ごとに「目標共有化確認」を実行して全体を牽引するモチベーションまで引き上げることが大切だ。特に牽引役の3割の人には、自己啓発の課題も共有して、更なる意欲を引き出すことだ。そのうえで、ベクトルを左右する4割の様子見の人(みこしぶら下がり予備軍)への参画意識をどこまで高められるかだ。



それぞれのラインで、一人ひとりの目的と手段を明確に話し合い、目の前の具体的な目標を達成させる。決めた手段の達成を、一つ一つ積み重ねながら、自信と度量が大きくなる事を見守る。一人の育成が「共育」に繋がり、この集団化でしか目的は成就しないので、ここを端折っては絶対駄目である。
上司は、きめ細かく部下が達成できる目標をまず設定させて、クリアするたびに評価することである。後は、欲が出てくれば自分で学んでいくようになる。このプロセスは決して面倒なことではない。じっくり見守る姿勢が肝心だ。
部下は、都度の課題と対策を学び取り、後輩へと繋げる兄貴、姉御肌を身に着けていく。

「自分の領域の達成」と、「後輩の育成」の両輪を成すことが仕事であり、当事者意識を持って自分で勝ち取った、と思う人の勢力を拡大させる以外に組織の活性化は果たせない。
それは丁度、オセロゲームのように一人づつ仲間を増やすことなのだ。

新鮮に満ちた毎日を目指し、自らを活性化させる

私は「自分の人生は自分で切り拓いてきた」と思う反面、多くの方々のご縁を頂戴してここまで来たことも承知している。ご縁の源は、年齢など関係なく、本気で打ち込み、わき目も振らず、明日の自分を信じて今日を生きている、と思っていただけること。

隠居翁を気取って、経験や知見をひけらかせて、相手を指導とか、相手を矯正させるなどはおごり高ぶりだし、それだけではただの嫌われ者になりかねない。
せめて、信頼を願う自分の家族や友人など大好きな人に接するときは、相手を思い、信じた相手にそっと「寄り添う」ことではないだろうか。温かく寄り添いながら、目を細めて眺めているうちに「自分の生きがい探し」を見つけられる好奇心や心のゆとりが生まれてくるような気がする。

しかし、最後は自分で決断し、自分の力で答えを導き出すしかないのだ。私が息子の柔道を盛んに紹介するのは、ジャネの法則が理由かもしれない。

「新鮮に満ちた毎日」が遠い昔と忘れてしまった私と比べ、今の息子の一日はどうだろう。
今日の努力が、必ず実を結び、優勝することを信じてその日を完全燃焼している。
私は、きっと息子の瞬間、瞬間の姿を羨ましいと思い、疑似体験しているのだろう。世間の親が、頑張っている子どもの活躍に一喜一憂するのは、出来ない自分を相手に託しているからで、何としても頑張らせようと過剰な期待を寄せる。

学生時代を振り返ればわかるように、他人の台本を無理に書き換えようとするのは無駄な努力……。息子のことは思い切って青春物のドラマでも見るように、気を楽にして見守ることにしよう。どうあがいても、所詮、人の人生は、自らが脚本を書き、主演・演出するのだ。

田辺 志保

2014年11月5日水曜日

人を見守る事のむずかしさを知る <前編>

そろそろ今年、2014年を振り返るころが近づいてきた。
我が家のニュースは何だろうか? と考えると、夏から秋にかけての息子の柔道……。今年の夏は例年に比べて涼しい夏だったといわれているが、我が家は熱かった!

息子たちの柔道を見守る

市川市立第七中学校柔道部の息子が千葉県市川・浦安地区を勝ち抜いて千葉県大会に進出した。しかし、千葉県の壁は厚く、73kg級個人戦、中堅を務めた団体戦とも敗退して全国中学柔道大会(全中)出場は叶わなかった。中学になると細かく分けた体重別階級ごとの個人戦となり、七中柔道部から二人が千葉県代表として出場した。

息子は苦杯をなめたが、技は体力も未完成ながら、体重管理を含めた体づくりでは自分を追い込み、練習を重ねて臨んだ。私はそんな息子を励まし、見守った。

「七中名物サーキット」と呼ばれる練習は、まず、全員が輪になって、腕立て、腹筋、屈伸運動を何百回と続ける。一人が10回ずつ号令をかけ回るので、20名で各種200回になる。これが、通常練習の後のメニューというから1年も経つと、体つきがみるみる変わってくる。



体重別競技の選手は、中学でも体重の増減に合わせての体づくりを求められる。カロリーコントロールと併行してインナーマッスルを鍛えて代謝カロリーを増やす肉体に改造することだ。息子は小学校卒業時、70kgの体重が、中学に入って66kgに落ちるのに2か月と掛からなかった。いくら食べても太れないのである。大会に73kg級でエントリーした息子は、下限の66kgを割ると計量で失格になるのだが、一向に体重が増える気配がない。

摂取カロリーと代謝機能がそのままだと練習量でのダイエットにしかならない。息子は「筋トレ」を上回る「食いトレ」に励むしかなかった。そんな「食いトレ」と「インナーマッスル強化」で地区大会から県大会にまで進めたのは、体重計との格闘では勝利したからだ。

息子は部活に加え、市川の「須賀道場」に週4回通っているが、体重減少を心配する息子に、道場の岩崎先生は「大丈夫、体が慣れば食べられるようになり体重は増える。その身体を、また絞って筋肉に変えていくうちに、見違えるから」と涼しい顔。夏を努力した者には「絞り込まれた強靭な肉体と、力強い技の切れ」という大きな収穫が得られるというのだ。

息子の「食いトレ」は、朝から「かつ丼」、給食は人並みで我慢、道場に行く日は軽めの夕食、道場から戻り再夕食(夜食)を取る。満腹は道場で吐くので厳禁だ。家内は「飼育しているよう」と言いながら内心嬉しそうである。県大会当日、息子は71kgで計量を通過した。



多くの人に支えられて……

誰しも、運動に限らず何か事を始める際の動機は、大きく二つあると思う。一つは始める活動・運動そのものの魅力、二つは指導者や仲間の魅力。息子は通う「須賀道場」で両方を満たされている。名だたる柔道好きが集い、全国でも有名な猛者を育て、全国大会出場の強者を数多く輩出している名門道場で、以前紹介した廣田先生、増田先生も須賀道場の門下生。有難いことに、息子は須賀会長と道場の有り様に支えられている。

「須賀道場の魅力」は何と言っても、須賀会長の的確な指導力と門下生一人ひとりに対する姿勢、人を引き付ける人間力。ここで育った先生たちが須賀先生への恩返しとばかりに更にパワーアップした熱血漢と指導力を引き継いで門下生の為に集まってくる。

とにかく須賀道場の門下生はタフである。夏は気を失うほど暑く、冬は身を切るような寒さの中でひたすら練習を繰り返す。柔道の試合ではもつれ込むと、お互い疲れ果てて残り一分間で、気力と余力があるかないかで勝敗が決まる、といわれる。須賀道場の門下生は、試合時間をフル回転で戦い続けるタフな体と根性を身に付けて行くのだ。

この夏、腕に覚えのある方が初めて須賀道場の練習に参加したが、一時間もしないうちに軽い熱中症でうずくまっていた。いつものメンバーは平気な顔。こう話すと、「須賀道場」とはどんな道場だろう……と思われるだろう。が、お世辞にも立派とは言えない。広くて、冷暖房付きの公営の武道センターと比べると、意図的かと思うほど何もない道場であるが、私はこの道場の存在が、「修行のパワースポット」になっていると思っている。



涙が人を育てる

県大会団体戦で敗れた瞬間、選手たちの姿が心に残ったので記しておきたい。
選手たちは引き上げるや否や会場の隅で泣き始めた。無理もない。3年生は個人戦での優勝者以外は引退となるので、寂しさと無念の涙。後輩たちは、先輩が去る寂しさと申し訳なさで、涙が止まらなかった。今までを見てきただけに、その悔しさはよくわかる。

個人戦での勝ち負けは「嬉し涙」も「悔し涙」も自分に向けてだが、団体戦での負けはメンバーへの申し訳なさへの涙に変わる。自分への涙と違い、人の痛みへの涙は「成長の涙」。今子どもたちは得難い涙を流していると、私はほほえましく思ってしまった。補欠で悔しいはずの3年生が、後輩の肩をたたきながら、「気にするな、新人戦と来年の全中は俺たちの分まで頼むぞ」と後輩を励ます姿を見たとき、その気遣いと優しさに感激してしまった。

引退する3年生を見守ってきた顧問の古館(こだて)先生は、引退する3年生に「すまない」と言って泣いていた。最後は全員で、保護者の方々へ「ありがとうございました」と頭を下げた。涙でくしゃくしゃ顔の彼らは、誰も顔を上げられず暫く下を向いたままだった。



その場をただ見守るだけの私は、息子たちを育成くださる先生たちに頭を下げながら、ふっと昔、よく口ずさんだ坂村真民の「七字のうた」を思い出した。



息子たちが、これからも一途な努力を積み重ね、いつか「よいみをむすぶ」ため、負けた時には口出しせずに見守るだけで、勝った時こそ一緒になって喜ぶことにしよう。


田辺 志保