2014年12月22日月曜日

2015年に向けて

2014年が終わろうとしている。
我が社は来年に向け、これまで以上にお客様から喜んでいただける「良きものづくり」に一層精進することが最大の使命である。お取引先様の求めることに、どこまでカスタマイズできるかであり、社内の合言葉である「執念あるものは可能性から発想する」を忘れずにひたすら邁進するだけである。

私は本年も、思いつくままに、子どもにも「恥ずかしい」と随分言われながら、ブログを書き綴ってきた。大半が己への戒めばかりで、如何に自分が未完成かを実感した。「未完の青年」は無限の可能性を秘め、好奇心でゾクゾクするが、私は「未完の熟年!?」。未完の青年に「足るを知り、死ぬまで修行だぞ」と押し付けるしか能がないのである。

先日、息子が所属する市川七中柔道部の部長、「全国中学生大会」で引退した3年生に、「この本を読んだら」と、1冊の本を渡した。
彼は息子と違い、無類の読書好きなのを聞いていたから、高校受験モードに切り替えただろうと案じつつ、「面白くないかもしれないけど、じっくり読んでほしい」と付け加えた。
しばらくして、「3回読み返しました」と報告してくれた。嬉しかった。

すすめた本は、仙台・秋保の慈眼寺の塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)住職の著書『人生生涯小僧のこころ』。塩沼住職は、荒行のなかでも最も厳しいといわれる「大峯千日回峰(おおみねせんにちかいほう)」を成し遂げ、さらに断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」も満行し、大阿闍梨の称を得ている方である。
「大峯千日回峰」とは、奈良県吉野の大峯山で片道24キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて1日で往復。これを1000往復、4万8000キロを9年間かけて歩く超人的修行で、いったん行に入ったならば足が折れようが、熱が出ようが休めば、そこで終了。決して途中で止めることができない。途中で止める場合は自ら命をたたなければならないという、凄まじいもの。吉野金峯山寺1300年の歴史上、「大峯千日回峰」を成し遂げたのは二人という。

住職は1000回の往復中、苦しいとき、動けなくなった場面では、一歩一歩、「謙虚、素直、謙虚、素直……」と心で唱えて歩いて乗り越えた。1000往復まであと1回という999回目の夜には、「人生、生涯、小僧のこころ」という言葉が心に浮かんだと書いている。
普段、何げなく使う「ありがとう」は、「ありえ難いこと」が転じたとよく言われる。「普通ではありえないこと」と捉えて、心から発する感謝の言葉かと思うが、命がけで満行を成した著書には、まさに「ありがたい言葉」が詰まっている。

私は例年、年初に言葉に注目して一年の抱負としている。今年の言葉は塩沼住職の「一息、一息を大切に」だった。この思いをどれだけ綴れたか、お伝えできたか……。いずれにしてもこの一年、「田辺志保のひとりがたり」にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年も皆様のご指摘を頂戴しながら、乱筆乱文、失言をご容赦願いつつ、恥を承知で思いつくままに書きたいと思っております。




最後になりますが、皆様の益々のご隆盛と、穏やかな越年を、心より祈念申し上げます。

田辺 志保

2014年12月2日火曜日

後悔しても始まらない……

今年もあと僅かである。
みなさまにとって今年、どんな一年でしたか? 楽しい思い出ばかりじゃなかった方も、面白い出来事に遭遇した方もいらっしゃるでしょう。
前回、前々回、夏の我が家の熱闘柔道! 模様に触れたが、年初には悲しい事があった。2月に父を亡くした。そして私には一つ悔いが残った。

最初で最後の本音の話し合い

父は84歳の誕生日に天寿を全うしたと言っていたが、その年の旅だちとなってしまい、家族は残念で仕方ない。父は7年前に母が亡くなった時、自分が先に逝く事しか考えていなかったようで、かなりショックを受けて落ち込んでいた。昭和ひとけた生まれ。弱音を吐かず、いつも強気な男だが、母の死はかなり応えたようで、暫くは見ているこちらが辛かった。
いつまでも母の携帯電話を手元に置いて、寂しくなると隠れて母の携帯に電話して、録音された母の留守電の声を聞いていたらしい。父と同居している弟から、その話を聞いた時、オヤジらしくないと驚き、あのオヤジが……と思うと泣けてきたものだ。

昨年の夏に、オヤジから大切な話があるからと静岡の実家に呼ばれた。3人兄弟を前に「俺は肺がん末期で『余命半年』と宣告された」と話しはじめ、「母さんのところにいけるから嬉しい」と笑って見せた。
それでも昨年末まではかなり元気で、お世話になった方々を訪問して食事をしたり、お礼参りに出回ったりしていた。が、年明けにはだんだん動けなくなっていた。正月明け、話すのも辛くなりはじめたころ、オヤジは我々兄弟に最後のお願い事をしてきた。

「お前たちは、これからの人生がある。死んでからも子どもに負担はかけたくない。だから、葬式も不要だし墓もいらない。母さんの時は告別式をやったが、それに労力を費やすのは無駄だ。俺の骨は海に撒く「散骨」にしてくれ、それが俺の最後の頼みだ」
全くの予想外、驚いた。オヤジは前々から決めていたようだ。

この時、最初で最後、親子そろって本音で夜中まで話し合った。オヤジは寝たり起きたりしながら「夜食でも食おうや」とか「昔、お前たち、野球盤ゲームで、そうやって大ゲンカしたなあ」などと笑う場面もあった。
まるでケーススタディの研修のように、困難な課題を与えて我々にさんざん議論させて、結論は子どもたち3人の意思を統一させた。自分で作ったシナリオを楽しみ、面と向かって話す時間を、ぎりぎりのタイミングで演出したかのようだった。
最終的には、オヤジは納得し、後に残る我々子どもの意思を尊重してくれた。一般的な葬送をし、お盆には墓参りも済ますことが出来た。

改めて言いたい!「一期一会」の気持ちの大切さ

以前、「世の中で一番悲しいことは、我が子を看取る事だ」と知人がしみじみ語った。親にすれば、短い生涯ゆえにこの世でやり残した事が多いと思う分だけ不憫に思い、悔しくて、辛くなる。そして誰もが、計り知れない悩みと、後悔までも背負ってしまう。
これは、親の死に直面しても同様である。親は人生経験が長い分やり残した事が少ないと慰められても、子どもは親に対しての後悔、もっと頻繁に行き来をして話をすればよかった、旅行もさせてやりたかったなどとの思いが大きくなるので、悲しみの深さは、変わらない気がする。

初めに言った「悔い」とは、死を目前にするまでオヤジの本音を知らなかったことである。普段から、余分なことは言わない主義だったが、それでも、私が時々に一歩踏み込んで会話をしていたら、母の死を乗りえて落ち着いたころに、オヤジがふっと漏らした言葉に反応して聞き返していたら……などと悔やまれた。忙しさにかまけてお互い避けてきたのか、あるいはいつでも話せると思っていたのか、いずれにせよ大きな悔いは、面と向かって話す時間を取らなかったことである。

誰もが、両親や友人、人生の先輩たちと別れる時が来るのは世の常で、その都度、後悔をするものだ。「死生観」を語れるほどの器ではないが、残された者が「ひどい」「悲しい」「辛い」という感情と向き合うことは間違いない。だから、残された者はこの痛みを受け止めて、乗り越えなければならないのだ。「仕方がない」と享受する覚悟を持つしかない。「後悔」という後ろ向きの思いは、いつまでも自分を過去の中に置くことである。それゆえ、一刻でも早く「思い出」として転嫁するよう決意すること、そこから未来への自分の糧にすることだと思う。
そのために今できること、心がけたいことは、ひたすら「一期一会」の気持ちで人と接することだ。それが今と未来に待ち受ける新たな「後悔」の軽減につながる。

今は、オヤジの死を簡単に「思い出」に昇華、などと書けるが、あの時の、親子のかけがいのない話し合いの時間が無ければ、今でも過去をさまよって後悔しているかもしれない。
逝ってしまった人の気持ちを勝手に深掘りして、過去に戻ってあれこれと悔やむのは止めようと思う。オヤジは、きっと「いつまでも後ろを向くな、前を向け」と言うはずだ。

私は弟たちと、昔を思い出して「あの時は、オヤジ、おふくろを泣かせたなあ」とか「温泉旅行も約束倒れだったな」などと涙することもある。考えてみたら、オヤジとおふくろに、何もしてあげられずにここまで来たなと、しみじみ実感する。「親孝行 したいときには 親はなし」を痛感した。すべては後の祭りなのだ。
オヤジは最後にこうも言った。
「俺のことで、揉めるなよ。お前たちが元気で仲良く暮らしてほしいだけだ。それが一番の望みだ」


年の瀬を目の前に、来年の一周忌には、娘の制服姿と息子の柔道着姿で静岡に行くのも有りだな、と勝手に考えた。オヤジにもおふくろにも見せることができなかったから……

田辺 志保