2016年7月8日金曜日

試練は突然やってくる(前編)

この夏、柔道中学生が目指す「全国中学総体柔道大会」が、8月17~20日に新潟県上越市で開催される。昨年の北海道大会は、3年の上級生に負け千葉県代表になれず全国を逃した。新潟大会は、3年生の息子には最後のチャンスで、負ければそこで引退となる。

7月から各都道府県毎で予選会を勝ち抜き、階級別代表選手と代表団体校が「全中大会」への出場権を得る。千葉県は各14ブロックを経て、7月下旬の千葉県大会で各階級優勝者1名と、優勝校一校が千葉代表として全中大会の切符を手にする訳で、そう簡単ではない。

春の千葉県大会では、息子たち市川七中が団体戦で優勝し、個人でも81KG級で優勝した。七中レギュラーは各階級別でもトップクラスで、最強メンバーと評価されているようだ。
そのために、彼らは部活と道場で猛練習を重ねてきたから、全国大会で上位を狙う!の夢を叶えてやりたいと願うばかりだ。

ただひとつ、この時期に絶対にあってはいけないのが、怪我と病気。試合に出ない、は幾ら過去強かろうが関係ない、不戦敗でその場で終わるのだ。
今、柔道の先生たちと選手の合言葉は「絶対にケガはするな!」である。

人生、上り坂と下り坂の合間に「まさか」の坂がある

市川・浦安地区予選を3週間後に控えた部活の練習中、学校から「息子さんが練習中ケガをした」と連絡が入った。歩けないので迎えに来て欲しいとのこと。家内は保健室で寝ている息子を見て真っ青。乱取りの最中に、後輩の重量級の相手が投げられまいと、息子にしがみつき、左足首が絡んだまま上に乗った形で倒れこんだらしい。最悪の事故である。まさか、何故、この時期に・・心をよぎるが気を取り直し、パンパンに腫れた足首の息子を乗せて、そのまま救急医療センターへ。

診断結果は、左足首脛骨骨折。夜遅くにギブスで固められ、沈痛な息子をみて正直、彼の最後の大会は終わったと落胆した。しかし、それではあまりに悲しいし、諦めきれない。

柔道の先生たちも案じてくれ、整骨で全国屈指の先生を紹介して頂いた。柔道家でもあり、国内有力選手の奇跡の回復や、指定選手のメンテナンスもしている方である。
先生は快く診察に応じくれ、翌日深夜に指定された医療大学の先生の部屋にお邪魔した。

先生はギブスを外し、足首を触りながらレントゲン写真を睨む。

「心配していたとおりです、脱臼したまま固定されてますよ」
「えー・・」私たちはただ驚くばかり。
「昨夜は痛かったでしょう、まず脱臼を直しますが、骨折部位の反対の靭帯も伸びているので、回復には時間がかかります」それを聞いた息子が一言、
「先生、3週間後の予選会にどうしても出たいのです」
「・・・・・」。

柔道歴20年の先生は、この予選会の重さを知っているだけに、先生の沈黙は怖い。やがて意を決し「何とかやってみます」と仰った。先生は、骨折・脱臼・靭帯の回復だけでなく、試合感、左足筋肉の衰え克服のトレーニングなど、並行しての復帰である。息子にすれば、先生の指導を守り必死でトレーニングを重ね、出場できたなら「勝つ」しかない。

この日から、先生の昼夜を問わぬ献身的治療と、息子の1日4時間に及ぶリハビリトレーニングが始まった。救急医療で全治一ヶ月半と診断された息子が、治るどころか3週間後の試合出場という記録的復活が果たせるかどうか、先生と息子の戦いが始まった。

柔道先生と仲間たちと家族は、この3週間をひたすら見守るしか無い。
無関係の皆様には面白くなくて恐縮だが、この行方は、次回に掲載したいと思っている。


神の手