2017年12月9日土曜日

2017年の師走に。

街がクリスマス模様に変わり始めたら、あっという間に2017年度も終わる。相撲界も気になるが、皆さんにとってはどんな1年であっただろうか。

私見だが、今年の大きな出来事は、米国のトランプ旋風。己の利益優先は世界を圧巻した。それとショックだったのは、東芝ボロボロ事件。7,000億負債までの経営は、危機感から変革進路に舵を切っても、なかなか進路が変わらない巨大船のようだ。

恐ろしいのは、リーダーが自己中心主義と既成概念やシガラミで「身勝手なゆで蛙」になることだ。沸点に気がつけば崩壊だが、周りを引き込むのはご法度だ。

弊社の2017年は、株式上場初年度として、働きがいのある会社づくりに突っ走ってきた。「育メン」「副業」、今月からは「フレックス」制の導入と、お取引様と共に売上げ拡大に邁進しているうちに、師走を迎えた、と言ったところだ。
お陰様で業績も好調で、お客様はじめ全てのステークホルダー様に、感謝、感謝である。

一方、我が家に目を転じると、娘は海洋建築科の2回生の課題に取り組んでいる。橋の建造も、耐震、風力、強度など物理学での設計。私には何のことやら分からんが、PCで自動計算する前に自分で手計算して仕組みを解明させるようだ。私はエールを送るだけ。

息子は高校生活が始まったが柔道一直線は相変わらずだ。100K級の技と体幹を磨き上げ、激戦区の東京で、どこまでいけるかの勝負が始まった。親は、息子の「柔道、メシ、風呂、寝る」パターンに「自力起床」と「勉強」を加えるのが目下の最大の課題である。

子どもたちは、まさに「ゆとり世代」。指示まち、打たれ弱い、身勝手などと言われる世代だが、ここは前向きに、マイペース、堅実、実直、真面目と捉えるほうが気が楽。
そんな子どもに、最近家内は「今の若い子は皆そうかしら」と愚痴る事が増えてきた。

しかし案ずることなかれ、年配者が「今の若い者は!」と嘆く姿は江戸時代からあった。皆さん、嘆かれ、嘆いてきた。時を重ねて解決する事も多いので、気にすることはない。
加齢のシワを、嘆きの眉間の縦ジワにするよりも、笑顔の横ジワにするほうが美しい。

そこで、痴呆を案ずる翁から、珠玉の言葉を「家の神さん」に贈りたい。合掌。


2017・田辺の思い出
















2017年11月14日火曜日

愉快なケセラセラ生活。

カネボウコスミリオン時代、幾多の成功を共にした友人が定年を迎え、仲間と壮行会を開いた。おしゃれで陽気で純粋な愛されるキャラの方である。これからの人生もエンジョイしながら歩み始めるに違いない。

彼のような「天然の陽気」は貴重である。一般的に楽天家、社交的、ラテン系、ノー天気、無神経、前向きなど多くの表現があるが、現在の日本人でこのキャラを素でお持ちの方は、2割程度と言われている。しかし少ないから優れていると言うわけでない。

ただ、陽気な性格はマネジメントでは有利とも言われる。ほめる部下への喜び表現、労いの言葉、叱った後の自然に出る笑顔やフォローなどは魅力的。リーダーは陽気を装う努力をする。以前、尊敬する上司から「田辺は得だ。俺は努力して根明(ねあか)を装うのに、おまえはそのままだからな」と言われた。天然の私は少し複雑である。

部下を叱るには「その場で、その事だけを、短く」が鉄則である。遅刻した部下に理由を聞く前に、遅れた事実に対して、一喝。後でフォローすればよい。後腐れなく!が大事。
叱り方を一歩間違うと「違う場で、そのこと以外も、ダラダラと」になる。これは最悪。

悩み多き者よ


自分の心労防止のためには、ニワトリの「三歩、歩くと全て忘れる」がコツだ。過去の柵に縛られず、忘れて次に進みたい。失恋の痛手でも「恋を保存する」タイプと「恋を上書きする」タイプの違いのどちらかだ。因みに保存タイプは圧倒的に男性が多く、上書きタイプは女性が多いらしい。やはり女性はタフである。

「男よ、いつまでも引きずるな。女性はもう立ち直ってるぞ」

医学的に、悩んだときには甲状腺から男性ホルモンが分泌されることで、悩みを乗り切ろうとする。そのため別名「ケセラセラ・ホルモン」といわれる。

男性ホルモン「テストステロン」の前向き高揚効用は既にご存知だろうが反面、ケラチンという髪の生成成分の活動を阻害したり、皮脂腺が急に活発になるなどの副作用もある。一晩で白髪になるとか円形脱毛症などは顕著な例だ。冬場なのにお肌の油分が急増する女性を調べると、受験生を抱えた母親だったりするのも頷ける。

ストレス乗り越えのテストステロンが、イタズラするだけと思えば気も楽になる。まことしやかに「禿げに癌なし」とか「ギラギラは精力的」とかいわれる由縁でもある。

ストレスとは「こうなりたいのに、そうならない」状態。現実とのギャップは当然と受けとめ「男性ホルモン、出てこいや」だ。私、もはや禿げ止まり、肌の乾燥時期だから。

朝がこない夜はない。朝、目覚めたら「今日、生まれた」と思い、上書き人生のほうが愉快だ。どうせなら、ケセラセラ気分で「陽気を装い、楽しむぞ」ぐらいが丁度良い。

陽気を装う努力の姿?
















2017年10月30日月曜日

面白い!安田学園柔道部

先日、東京都の高校学年別柔道大会が開催された。各学年の3人制の団体戦で、今後を占う大会だ。安田学園はベスト4に勝ち進み、準決勝1年は安田学園×日体荏原、修徳学園×国士舘、2年生は安田学園×修徳高校、国士舘×日体荏原となった。

安田学園は日体荏原、修徳に勝利し国士舘との「安田学園×国士舘」ダブルで決勝戦となった。結果1年生準優勝。2年生は見事優勝。まさに4強相手に快進撃である。

全国から逸材が揃う強豪高をやぶり、安田学園がなぜ好成績を修めたのか。

現在の2年生は一昨年全中優勝した最強メンバー。しかし高校柔道は、中学での実績が担保されない。努力しても結果が出ない。安田選手たちは他校との格差を認め、今までをリセットして「効果的な集中練習」を先生と計画をたて、ひたすら実行し始めた。

朝練はランニングと筋トレに特化、放課後は「技の研究」とその磨きに集中。定期的な講道館通いも大学生との乱取りが目的だ。自主性重視の練習と尊敬する先輩たちと楽しく厳しく鍛錬するうち、息子も体格と動きが徐々に変化してきた。

「文武両道」の部員は、常に参考書片手に1分たりとも無駄にしない。柔道の合間の過ごし方が、ゴロ寝している息子とは大違い。「先を見据えて今を生きる」のお手本である。

自発的な選択と集中が功奏してきて、部員の顔付までが変わってきたようである。

東京都学年別大会勝利に喜ぶ安田学園柔道部


ロシア・チュメニ国際大会に出発


学年別大会4日後、安田学園16才の選手5名が、遥かロシア・チュメニ国際柔道大会に出発した。川合先生の仕込みのお陰でロシア柔道連盟から招待されたのだ。

60K級、66K級、90K級2名、90超級の計5名がエントリー。世界15カ国の16才の500名が集結する以外概要が分からず一抹の不安と期待を胸に5日朝、先生と選手は成田を出発。モスクワでの乗り換えを経て、無事チュメニに到着したのは深夜の3時頃だった。

ロシアは広い。モスクワとチュメニで時差を2度戻し「ライン」も使えない。とにかく大会URLに自宅PCを繋ぐ。世界同時配信でオリンピックセンターでの民族舞踊や軍隊実技の開会式の規模と施設に驚き、なんか凄い大会だなとこちらが驚く。

異国での緊張の初戦、60Kの笛田選手の出番がきた。まずは初戦・2回戦と歓喜の勝利。続く3回戦では惜敗したがベスト16である。笛田選手の雄姿に、安田選手が奮い立つ。

大会2日目は、残る4選手の試合。会場別スケジュールを、帯同のご父兄と連絡を取りながら、自宅で試合場別の4画面にひたすら目を配る。第1会場では66K級の近藤選手が勝ち進むが、5戦目の準決勝で惜しくも惜敗。第3会場では90K級の息子と小林選手と90超級の奥谷選手が勝ち進む。しかし小林選手も準決勝惜敗。

残る田邊選手と奥谷選手の2階級が、決勝戦進出である。2時間の休憩後「3位決定戦と決勝戦」で、安田4名がメダルを掛けて戦う。見ている方も疲労困憊である。近藤・小林選手は「銅」を、そして田邊・奥谷は「金」を狙うしかない。

執念のメダル獲得


のちに息子から聞いたのだが、日本勢の活躍に観客の歓声と写真攻めが凄かったらしい。一番人気の近藤選手の3位決定戦は感動的だった。流血の頭に包帯を巻き、残り2秒でかけた渾身の大外刈りがビデオ判定で一本となり、歓喜の逆転勝利。勝った瞬間、彼が道着の裾で涙を拭う仕種に我々も涙した。

小林選手も勝利し2人の「銅メダル」が確定。息子の決勝戦の相手は、同階級を疑うような190cm近い巨体。長い手で背中から帯を掴み隅返しを喰らう。かわし切れず「技あり」。その後は果敢に攻めたが、うまく防戦されて時間切れ、惜しくも「銀メダル」となる。
残る奥谷選手は隙を逃さず見事一本!金メダルを獲得した。日本勢、凄いの一言。

こうして安田学園は金、銀、銅、銅の4つのメダルを獲得し「日本柔道ここにあり」をアピールできた。まずは一安心。そして彼らの大活躍に沸きに沸いた2日間であった。

大敵とみて恐れず 小敵とみて侮らず


子どもたちはロシア遠征で多くのことを学んだ。「柔道」が言葉や人種の壁を超え親しくなれること、外人選手の体幹やパワーを実感できたこと、ロシア女子が相当可愛いこと。何といっても「礼節と正々堂々の日本柔道」の誇りと自信を得た事が大きい。

ロシア柔道連盟からの来年の出場依頼をお受けした以上、来年は後輩たちのために、上級生になる選手たちは、今までの先生と先輩の教えと自らの経験を後輩に伝道するのだ。

勝負に「勝つ」ことは負けた相手を「最強のライバル」にも変える。勝者を徹底的に研究し、血眼で練習してくる筈だ。たまたま勝てた安田学園柔道部!慢心こそ敵である。

まさに「大敵とみて恐れず 小敵とみて侮らず」である。

https://youtu.be/e6dO-ggRzBo  チュメニ大会準決勝YouTube(後半)
https://youtu.be/6--bBxoQA-k  チュメニ大会3位決定戦・決勝戦(後半)


ロシアチュメニ大会の活躍





2017年10月5日木曜日

体重管理すら出来ない自分が情けない?

10年前、私は異常な血糖値上昇で病院送りになった。妙にだるくて調べたらHbA1c数値が11.6。あまりに高すぎて医者が仰天、即入院。結果、18キロ減量とインスリン療法が功を奏して、我が膵臓は完全復活をした。糖尿病は絶対治らないはウソである。

ところが81K級の息子が、90K・100Kへと階級を上げる為の本格的食いトレが始まった。
持参弁当は、2合半の2段弁当、おにぎり2個、スパゲティ1.5人前にゼリードリンク付き。「カバンに弁当入れたら教科書が入らないな」とぬかした息子には、思わず「阿呆か、教科書を入れるのが先だろ!」と怒鳴った。

かくして、我が家は「痩せる食事」から「太る食事」に方向転換。家内への異議申し立ては「あなたは我慢できる」と却下。夕食の前菜「野菜サラダ」に「鶏の唐揚げ」が加わり、高タンパク質を中心に全品ボリュームアップで組み立てるのだ。

一日に、米一升、肉1キロ、牛乳2Pのペースで消化。練習1回で3キロは落ちる体重を、また増やすを繰り返しながら、脂肪を筋肉に変えて重量級格闘家体系になっていく。
しかし問題発生。ついつい一緒につまみ食いする私と娘まで太り始めたのだ。そして、ついに、健康診断で血糖値が高めの指摘。「やばい、再発か、どうしよう?堪え性のない自分のせいだ」そこで一念発起。早速、課題と対策を打つ。

痩せるための食事療法と栄養学の復活


本来、私の1日の消費カロリーは平均1,800~2,000Kcalなので、一回食事の摂取量は上限600~650Kcalになる。単純にこれを越えると「冬眠」でもないのに脂肪として蓄積して太るのだ。運動で消費する手もあるが、心拍110で30分間自転車を漕いでも、消費熱量は僅か80kcal。食パン半枚にしかならないから結局食べない方が早い。

まず家内との協議で、息子だけプラスメニューでいくことにした。通常メニューにタンパク質(肉)を加える。大量にローストビーフなどを作り置きして、毎食プラス別皿で与える。これが3日で1キロずつ消えていく。まさに飼育。私と娘はひたすら我慢する。

食前の野菜の摂取は熱量吸収を抑える。あとは外食時のため炭水化物2、タンパク質1、脂質1のバランスを意識するカロリー計算のクセを復活する。これは自己制御効果がある。

私は「食品交換表」に基づく「80Kcal=1単位」で計算するので、一部をご披露する。
炭水化物の1単位は、ごはん茶碗小1杯、食パン半分、じゃが芋1個、ビール200ml。
タンパク質の1単位は、豆腐1/3、卵小1個、牛・豚肉約30g、赤魚1切れ、納豆1P。
脂質の1単位は、直物油、バター、マヨネーズ各10g、ベーコン、豚バラ各20g。

朝食なら、ごはん、味噌汁、納豆、卵など、約7単位の600Kcalほどは簡単。しかし問題は、昼、夜も同カロリーにすることだ。酒はプラスされるので辛い。まして飲み会シメのラーメンは、ダブル炭水化物で私には自殺行為である。

皆さんにもカロリー計算をお勧めする。食品の裏面表記のカロリーを眺めるだけで、恐ろしい食品を発見する。菓子パン1個で800Kcalとかカップ焼きそば大が1,100Kcalなど驚愕する。一般的に旨い物は値段もカロリーも高いので、粗食こそ健康の近道である。

米国で「肥満は出世しない」と言われて久しい。体重管理すら出来ない人に自己管理も部下の管理もできない!の発想だ。まずは体重管理を徹底して更に自己管理力を強化だ。

当時、医者に「自分に甘い食生活の結果、国の大切な医療費を使うのです」と、叱られた。更に追加で明言ひとつ。

「食事とは満腹感を得るのでなく、空腹感を癒す為だけですよ」う~ん納得?!。


「空腹感を癒やす」と「満腹感をえる」の違い









2017年9月5日火曜日

正しく行って何人も恐れず。

我が社でも「危機管理対応」と事前対策の「リスク管理」の取り組みに余念がない。
企業を取り巻く危機は自然災害だけでなく、不祥事発生の信用失墜、情報の漏洩や大規模システム障害、製品欠陥や偽装の賠償、労働環境、内部告発などキリがない。

フュージョンは情報漏洩防止に特に気を使う。危機管理体制とリスク管理上、機密データを扱うチームはガラス部屋で仕切り、社員でも簡単に入れない。ISMS受審もその一つだ。


危機は必ず連鎖する



以前の会社の危機経験から「危機は連鎖する」を前提の管理体制の必要性を痛感した。「粉飾」「役員逮捕」「上場廃止」「分割統合」「買収」の連鎖は、想定をはるかに超えていた。マスコミの報道合戦の渦中は、幹部の捜査の対応、取引先様への説明責任、社員への伝達・応対法の検討など緊急会議の連続で、不眠不休でことに当たった。

経済面報道の段階は、当時の三角ビル本社への取材攻勢だったが、某TVの有名司会者の昼のワイドショーで「粉飾の悪しき会社」と紹介された翌日から事態は一変した。
化粧品のお客様たちが反応したのである。全国の販売会社や馴染みのお店や化粧品コーナーに、クレームや真偽を問いただしに来店されるのだ。現場は大混乱に陥る。

店頭の美容部員への「嘘つき会社の商品は買わない」の声に彼女たちは泣いた。本社は「陳謝の心で接客を!」と指示していたから余計に辛かったに違いない。正直、言いたいことは山ほどある。現場はひたすら愛用者拡大に邁進してきただけだ。しかしそれは「言い訳」反論と映ればパッシングになりかねない。「黙して語らず」の悲しい日々であった。

しかし、そのうち信頼関係の深いお客様やお取引様から、逆に励まされるようになってきた。「頑張ってね。経営の問題でしょ。応援するよ」これには、どれだけ勇気と元気を頂戴したかわからない。感謝の気持ちで何度頭を下げ、涙ぐんだことだろう。


「売られる会社」と「買う会社」の分かれ道



明治の鐘紡紡績・武藤総裁の「正しく行って何人も恐れず」の教えは、鐘紡の「愛と正義の人道主義」の根本精神として引き継がれた。しかし110年の時を経て、各事業部の壁、上意下達の体質、繊維の業績悪化、売上至上主義などで「大切な精神」が忘れ去られた。

リスク管理徹底の前提は、全社員が「正しく行う」倫理観と、モノ言う勇気と、牽制し合う風土を醸成することが重要だ。奇しくも、この化粧品事業を買収した会社に「王道を歩む」という精神がある。同じ価値観だが、道を踏み外し迷走とモラル崩壊の末に「売られる」側と「買う」側の差になったのも事実である。

今は「王道を歩む」親会社との一体化で、残すべき伝統と精神を活かしながら、夢と正義感に溢れた若者たちで、見事に復活・成長していることは記しておきたい。

会社人として、忠誠心と当事者意識は肝要だ。しかし指示待ちだけの「社畜」はいけない。いいなり社員は「会社の常識は世間でも常識か?」の判断力と当事者意識が欠如する。

「可怪しい?」と感じたら「正しく行って何人も恐れず」を貫き通すだけである。


今は懐かしき思い出











2017年8月11日金曜日

せまい日本そんなに急いでどこへ行く。


先日の大阪出張で今更ながら思うことに、駅などのエスカレーターで立つ側と追い抜く側が、東京と大阪では左右逆になる。何故なのか、いつからか?気になる。

「左立ち右歩き」の関東のマナーは、右側追い抜き車線の「交通ルール」から発生したらしい。しかしグローバルスタンダードは、関西の「右立ち左歩き」の方だ。阪急電鉄が、右利きの方が手すりを持つ「右立ち」を呼びかけたのが始まりで、その3年後の1970年「大阪万博」で、外国人にも共通する「右立左歩」提唱で定着していったようだ。

合理的に考えると関西圏の方が正しいようだが、関東圏の交通ルールもよく分かる。さて、どちらが正しいのか。はたして東西統一できないものかと考えてしまう。

しかし、正解は「エスカレーターは歩かない」なのだ。傾斜30度の階段を機械化して動くのだから、本来危険なので「左右両立ち」なのだ。決して駆け上がるものではない。
それに故障の原因に片側だけの重量負担があると聞く。名古屋なども両側立ちに取り組んでいるが、まだまだ何かと忙しい庶民に浸透しないのが現状である。

エスカレーターの目的を正しく「混乱せず移動」とすれば両側立ちが自然な使い方。ところが、せっかち者が「素早く移動」に変えるとエスカレーターは駆け上がる手段になる。

何を進めるにも「目的」と「手段」の決めは重要である。目的が統一されなければ、手段は勝手に変化する。仕事でも「手段を成す」が目的化して、手段の課題と対策などと追いかけるうちに、目的が曖昧になり成果が得られず、のケースは多い。


通勤ラッシュのエスカレーター。歩く側にじっと立つご老人の後ろで、イラッとしている若い方。乗換の駅で一斉に電車から降りる場面で、私は降りないと抵抗する方、それをイラッとして押しながら降りる方、横柄に足を投げ出す座席の方、私も含め皆イラッとしてしまう。これ、健康によくない。

やはり朝からイラッとしないで、車や電車、バスに乗りたいものだ。目的は仕事、勉強、遊びの場所で活動すること。そこへの移動は手段である。通勤・通学の朝一番のしかめっ面は、目的の「その日の活動」の充実に大いなる支障をきたす。

そこで、1973年【昭和48年】交通安全標語募集で、総理大臣賞に輝いた話題の標語を紹介したい。大阪万博後、爆発的に急増した交通事故・死亡事故時代の背景に生まれた作品であるが今でも心に迫るものがある。


「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」


       

自戒を込めて呟いてみると、言い得て妙である。
しかめっ面を解凍し、ふと肩の荷を降ろし、たまには立ち止まる。
そう「急いては事を仕損じる」だ。


皆、渋面・疲れ気味?









2017年7月20日木曜日

壁を突き破れ!高校柔道

息子は、高校柔道で新たな局面を迎えている。今まで反則の関節技や奥襟、両膝つきの背負いなどが解禁となり、高校からは一般的な国際柔道スタイルになる。

必然的に組手争い、防御、攻撃など俊敏性と技術とパワーの総力戦となる。中学でそこそでも通用しない。顧問の先生からは、体幹を鍛えろ!と厳命された。背負い投げや巴投げなど、先に、相手に組み手を取られると、かわしきれず投げられてしまうのだ。

息子の高校では、決められた練習時間外に自分の課題に応じ、何をどう鍛えるかを自分でメニューを考え、それを実行する部員が多い。勿論、やる、やらないも本人の自由である。「やらされる練習」でなく自発的に「やる練習」への大変換である。

かくして、このままでは校内選考試合で、階級別2名枠も団体戦の補欠にも入れない。まして、安田学園中等部が全中で日本一に輝いた先輩たちが、現在高2である。有難いことに優秀で後輩おもいの先輩なので、背中を見て、対策も一緒に考えながら練習している。


「井の中の蛙 大海を知らず されど 空の深さを知る」


千葉県中学代表として、応援されるが当たり前だった彼が、仲間たちを応援する側になる。スポーツの世界では、代表から外れた選手が経験する場面だが、悔しいはずだ。
「来年こそ勝負だ。頑張れ!」の叱咤激励など、私が口をはさむ話ではない。今の自分を受け止め、どうしていくのか?これは、息子自身が決めること。

先日、顧問の川合先生と立ち話をした際「彼は意地をみせましたよ」と。その一言だけだが、何となく息子は変わろうとしている姿を感じる言葉であった。

愚鈍で不器用な彼が、落ち込み、自分と向き合い、考え、学び、行き着く先に何があるかは分からないが、今まで以上の練習を決意したことは、間違いなさそうである。

「井の中の蛙大海を知らず」は「されど空の深さを(青さ)を知る」と続く。

大海も空も、まだまだ深く長い道。どこを、どう進もうが自由だが「後退の道」だけは、自分に許してしまっては絶対ダメだ。

先日、意地を見せて勝ち取った「金鷲旗大会2017」のメンバー補欠入り。
国内最大規模の高校柔道大会であり、実に443チームの抜き団体戦で日本一を競う4日間。
前進を目指す仲間と自分のために、福岡で声を枯らせて応援してこい!

金鷲旗大海2017
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/kinshu/

安田学園柔道部FB
https://www.facebook.com/yasudajudo/

インハイ予選と安田学園選手たち












2017年6月27日火曜日

不思議な街で思うこと


私の住む街には、ディスニーのシンデレラや不思議の国のアリスが住んでいる。アリスは小柄なので、すぐ分かる。アリスそのものだが、私服で自転車に乗っていると、かなり驚く。王子様もハッとするイケメンで、家内と娘はすぐ分かる。しかし「私は○○です」とは言わない。契約によって明かしてはいけないからだ。

近くに東京ディズニーランド(TDL)の外国人スタッフ用のマンションがあり、推測するだけだ。以前、子どもの同級生のお父さんが、小学校の文化祭で踊ってくれた。外国の方で、見事な踊りに拍手喝采。ある日、TDLのショーのメンバーに、そのお父さんを発見。あの時は驚いたが、お互いそれに触れないのも暗黙のルール。それなりに皆さん街に馴染んでいて、一応に地味で静かである。やはり夢の国の方々は、外界では目立ってはいけないのだ。多分マニュアルに記載されていると思う。

10年ほど前は、年間パスポートを持って行きまくったが、都度感動してしまうのがディズニーだ。再来店率が98%なのだから、殆どの方が、また来るのだ。
これは他に類を見ない。夢の国の世界観を守り、メンテナンスに投資を惜しまず、徹底した日本独自のマニュアルなど、やはり世界ディズニーの中でもTDLは突出している。

マニュアルの先にはアートの世界


マニュアルは、どこの企業でも業務の平準化のために用意している。マニュアルが求める内容とレベルは業種や仕事内容で異なるのは当然である。
コンビニの接客は、採用したてのアルバイトを想定した販売マニュアルだし、高級ブランド店は、お客様の名前や嗜好まで掴む「おもてなし接客」のマニュアルになる。比べれば、そのレベル差は著しい。しかし、どちらが良い悪いという話でない。お客様が求めるマニュアル化だから、場所場所でお持ちの「満足の物差し」に合わせるのである。

お客様が、接客に納得すれば「当たり前」。ちょっと違うな、と感じればクレームへの「不満足」。少し上のレベルを感じれば「満足」。しかし、ここで「えっ、ここまで」と嬉しくなる満足レベルを越えたとき、実はお客様は小さな「感動」を覚える。

この感動こそが、お客様の再来店と、仲間を紹介する行動になる。お客様が「サポーター」に変わる瞬間である。これは、マニュアルを越えて自発的に行動を起こせる「人」のパワーが為せる技。お客様に感動を与えた従業員は、それを重ねるうちに、お客様の感動を自分の喜びに変えて、マニュアルを越えるのだ。カリスマ従業員の誕生である。

TDLのマニュアルを越える感動


ご夫婦らしき2人が園内のレストランにやってきた。やさしい笑顔の女性スタッフは、4人掛けの席に2人を誘導した。オーダーを取る。ご夫婦は2人分の料理と、お子様ランチを1つ注文した。女性スタッフは、お子さんは後から来るのかな?と思ったそうだ。

しかし、お子様が来る気配がない。気になった彼女は出来上がった料理を配膳する時に、思い切ってお客様に尋ねた。
「お子様はいつ来られますか。冷えてしまうと可哀想ですから」
すまなそうな顔をして、お母さんが口を開く。
「可怪しいと思われますよね。・・・実は息子は来ないんです。去年、事故で亡くなりました。悲しくて沈んでいましたが、彼の誕生日に大好きなディスニーに行く約束をしていたんです。だから、今日は親子3人で来たつもりで、お子様ランチを頼んだのです」

思いもよらぬお母さんの話。さっと彼女は動き出した。奥からお子様用のイスを持ってくると、お子様ランチが置かれた席のイスと置き変えながら、言葉をかけた。
「ようこそ3人でいらっしゃいました。ご家族で食事を楽しんで下さい」

夫婦の目から大つぶの涙が溢れる。
その後、この夫婦は毎年子どもの誕生日をTDLで過ごすようになった。
実は「来ない子どものために、お子様用のイスを置く」というマニュアルは存在しない。
彼女が自発的に、ご夫婦が喜んで頂けることを行動に移しただけである。
この出来事に感動したご夫婦が、感謝の手紙を送ったことでTDLが知るところとなる。

彼女はTDLから表彰された。これが重要である。よく「カリスマ」はアートの世界だという。ゴッホの絵はゴッホにしか描けず、優秀な弟子もゴッホにはなれない。しかし、この発想では、企業として求める「カリスマ社員」誕生の継続は望めない。
TDLのように「感動体験」を評価軸に加え、認め、褒める仕組み化で、彼女のような従業員を一人でも多く輩出する風土と企業文化を作っていくのだ。

誰かが言った。「人生とは 感動の数である」。
感心、感激を超えて「感動する」を増やしたいものである。


懐かしい年パス時代と不思議な街・新浦安

2017年6月12日月曜日

夢をもて!そして諦めない。

アイデア出し手法の一つに「マンダラート・ワーク」がある。既にご存知の方も多いが、お取引様からのご依頼で研修させて頂くと、熱心に取り組まれ、結構好評である。

日本ハムの大谷翔平が、花巻東高校1年のときに作成したマンダラート表は、あまりに有名だ。彼は自分の夢をマンダラートで作成し、夢に日付を付けて目標に変えて、具体な行動におこし、見事目標を達成した。ただ頑張るのでなく、何の為に、どう頑張るかを明確にする事は、かなり重要である。

彼は、表の中央に「ドラフト1位指名、8球団」と明確な目標を置いた。その実現に向けて必要な対策、8項目を考える。そして、その8項目を更に落とし込み、手段化された8×8=64項目の行動を導き出すのだ。あとは、ひたすら対策を実践するのみである。押し付けの行動でなく、自ら導いた自主的行動に変えるのだ。

大谷翔平の凄いところは、「ドラフト1位指名、8球団」の為の8項目に「体づくり」「コントロール」「キレ」「変化球」「160キロスピード」の他に「人間性」「運」「メンタル」も掲げている点である。この「運」の対策をみると「あいさつ」「部屋そうじ」「ゴミ拾い」「審判さんへの態度」「道具を大切に使う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」と並ぶ。大したものだ。高校1年の若者が、選手としての「スキル力」以外に「人間力」を掲げ、人として「魅力ある名選手」になろうと自覚している。

息子にも「人間力」が育てばと願うが、好印象、魅力づくりは計算してやるものではない。偽善は、見抜かれるだけだ。挨拶やマナーの大切さは、後になって知るものである。
礼節など面倒と思う「感情」を「習慣」に服従させるつもりで、身につけることだ。それがいつしか、周りの方々に、好印象や魅力として感じて頂けるかもしれない。

「夢」への本気度を倍増させるためにも「明日ある我が身を思い描いて、今日を生きる」を貫きたいものだ。それが魅力ある自分の一歩になる気がする。なぜなら、人様は、そんな人にこそ感動し、魅了されてしまうからだ。

今を生きるコトに追われ、明日の夢を忘れてしまうのはぜったい避けたいものだ。
夢を諦めることは悲しい。しかしもっと悲しいことは、明日の夢が持てないことである。
そして、一番悲しく、辛いことは、「夢を奪い、夢を奪われる」人である。




2017年5月29日月曜日

「~のに、なぜ」から「と」を「の」に変える。

先回、マネジメントを面倒と思うな、と書いた。すると、ある方から「面倒でなく怖いのだ」と言われた。「先ず自分がしっかりする」事に自信がなく、相手に嫌われたらを心配する。まして相手のプライバシーは突っ込めない、も前提にあるのだろう。実際の相手の顔を浮かべて考え直してみよう。

「上長に相応しい自分」づくりへの努力は素晴らしいことだ。しかし世の中「努力すれば報われる」わけではない。報われる可能性が高くなるだけだ。スポーツの世界でも、その可能性を高めようと必死に練習するが成果は出ない。当然周りも必死に練習するので、競合との差は縮まらない。ここまでやれば、の判断基準がないから比べようがない。

先のオリンピックで名を挙げた柔道の井上康生監督は、100キロ級で世界TOPの名選手でもある。東海大時代、井上先輩の面倒をみていた後輩という知人が、息子と私に語ったことがある。試合形式の乱取り練習を1本5分を10本もやるとヘロヘロになる。全力疾走を50分続けるようなもので、元立ち以外は順番に当たるので、その間は休めるものだ。

井上先輩は、元立ちで休まず50本連続でやるのだそうだ。当然終わったあとは身動きできない。死んだようになった井上先輩を、2人の後輩が両脇から身体を抱えて宿舎に戻す。自力で風呂にも入れず、後輩がシャワー室まで抱えて先輩の身体を洗うのだが、ある日、井上先輩が途切れ途切れの声で「すまんが、このまま小便してもいいか・・」「どうぞ」と言うと、なんと真っ赤な血尿が出てくる。

「世界を目指す必死の努力は俺には出来ない、と悟った瞬間でした」そして「田辺くん、世界を目指すとはそういうことだよ。その覚悟でやり続ける決意を持って欲しい」と息子に語った。しかし、その練習とて優勝を保証するものではない。

これだけやった「のに」「なぜ」勝てない。
相手にこれだけ指導してやった「のに」「なぜ」出来ない。

世の中は「のに」と「なぜ」のセット言葉が多すぎる。練習すれば、努力すれば達成すると思い込み、上手くいかなきゃ何故だと、自分の努力や指導力不足を他に転嫁する。それでは挫折と恨み節の繰り返しになるだけだ。

他責から自責に変えて、自分自身でやれることとして、まず心構えから見直すことだ。

柔道の練習をこれだけやった「のに」、この「のに」を捨てる。これは「私と柔道」の関係だから出て来るセリフ。「と」を「の」に変える。私「の」柔道、柔道の私、と改めるのに違和感はない筈だ。
私と会社、私と部下、私と上司、私と家族、などの対比関係から私の会社、会社の私、
上司の私、部下の私、家内の私、に変えると「何故?」も自分の何故になる。

幾ら教えても変わらないは「教えてやる」の発想。相手が「学びたい」へと変えられない己を恥じるのだ。「師の背中を見て育つ」は、弟子が師に魅了され学びたい一心で成り立つ。相手が「と」を「の」に変わるのは、まず自分自身から実践するしかないのだ。

2017・サラリーマン川柳に、「パパお風呂、入れじゃなくて 掃除しろ」という川柳が入選していたが、井上先生なみの努力で「私の女房・女房の私」を実践し与え続ければ、いつしか「私の夫・夫の私」に家内が変わる?も、期待せずに実践するんだな。






2017年5月2日火曜日

すがすがしい人になりたい。

すがすがしい人が貴重な時代


「清々しい」とは何だろう。一般的には爽快、さっぱり、気持ちのよいなどの気分を指すが、同時に人を指す場合も多い。この時期、巷に多く見られる新入社員などは、すがすがしい人となるのだが、果たしてどうだろうか。

先日、友人の会社の入社式で、今年の新入社員の決意表明の半数近くが「この会社と、社会人としても自分が務まるかが不安なんです」と堂々と社長に語ったらしい。
一体これは何だろうかと考えこんだ。社長曰く、嘘でも良いから「頑張ります」と言えないのか、とこぼしていたが、皆さんはどう思うだろう。

子ども時代、親にも先生にも叱られたことがない。学校では平等・公平が原則か、順位も付けられず、中・高で一気に偏差値の競争という枠の中で揉まれ悩む。学閥は影を潜めたとはいえ、将来を思うと「こんなはずじゃない」と現実とのギャップに自信をなくす。
今まで年長者、上下関係、先輩・後輩などの繋がりが無く、学生仲間との付き合いしかない。まして恋愛も面倒で不安なので避けてきた。

しかし、社会では異次元の年長者、先輩、上司、異性に直面するのだ。かくして、礼儀作法も知らず自己中心の若者は戸惑い、上司は憂慮する。お互い不満と言い訳が増え、心が折れると逃げる。学校では「人は優劣で判断でなく、それは個性」が合言葉だが、社会に出ればそれは通用しない。

「上司力」を身につける


最近「バックレる」新入社員が話題になっている。入社2日目に「この会社、何か違う」と思ったら、昼飯に行くといったまま「バックレて」帰ってしまった事例だ。
会社は大騒ぎだが、当の本人は会社の心配などお構いなしで、違うからいかないとの弁。せめて辞めます、ぐらい言えよとの話だが、笑い話では済まされぬ現象だ。

終身雇用の危機は、定年まで勤めて後は余生のコツ「滅私奉公」精神を終わらせた。
「己のスキルアップとキャリアプラン」を考え、よりよい転職を探す時代になってきたから、好条件転職のコツ「その仕事、私のためになりますか」精神が前に出る。

そんな時代、新人に「すがすがしさ」を求める前に、マネジメントする側が「上司力」を蓄え、マネジメントの在り方を変えて「すがすがしい上司」になるしかない。

部下に対しては「怒る」激情型でなく「叱る」の対策を付加した理論型だ。報告事項は、先ず結果を聞き、次の言葉を待つ。成功時での自慢なら「どこで褒めるか」を、失敗時の言い訳なら「何故?」を探る聞き方に「耳」変える。これが積極的傾聴と心得るべきだ。業績拡大と人材育成は両輪の輪であり、片輪が動かねばまっすぐには進まない。

周囲に嘆く前に、本人との面談を義務化して部下の本質を把握する事が先決。部下の能力の最大化を引き出すための業務コントロールをすることが、マネジメントであろう。
やはりマネジメントの本質は変わらないのだ。

「仕事に厳しく、人にやさしく」は、業務コントロールと、人心掌握のことである。
一昔前の叱咤激励と飲み会の強要ではない。我々はいつしか本来のマネジメントを忘れ、職階、職位、評価基準で逃げてきたかもしれない。実はマネジメントは面倒くさいのだ。

人との繋がりが苦でない「清々しい上司」の下に「すがすがいい社員」が育つのだ。


2017年3月30日木曜日

念願のIPO

サラリーマンの夢って何だろう


サラリーマン人生が40年を迎える。よくここまで続いたと感心してしまう。
その間、転勤、転属、出向、定年、再就職を経験し、転居したのは14回に上る。役職もヒラから始まり社長まで経験させて頂いた。職階が上がる度、孤独になるもので、気楽さと仲間意識が遠くなるのは寂しいものだが、反面、職場以外の人脈が広がるのも事実で、それはそれで嬉しいものだ。振り返って「人生の人財残高」を積み立てることが如何に重要で「男の器量」はこれだと言っても過言ではない。

転居は全て家族同伴で素晴らしい出会いを重ねてきた。本当に感謝している。長女は幼稚園2回、小学校2回、中学2回、息子も幼稚園・小学校を4回も転校した。子どもには「自分の故郷はどこだろう?」と言われたが、皆が「お気楽」なので楽しかったようである。

しかし、会社人生は楽しい事ばかりでなかった。普通では経験出来ないことも遭遇させて頂いた。債務超過、粉飾決算、役員逮捕、上場廃止、整理、再生、買収と、これ以上ない連続攻撃には死ぬ思いをした。当時、病気でもないのに、血の小便が出ることを体験したのは苦い思い出だ。

正直、伝統と歴史ある一部上場の最古参の名門企業が、崩壊し消滅するとは思わなかった。世の中に「絶対に大丈夫」などは存在しない。
それでも定年まで勤められたコツは、ひたすら仲間を信じ、うしろ工程を大切にし、いかなる場面でも己を失わず「無我夢中」で邁進することだと思う。自分が、自分が、の我を張らず「無我」にならねば、誰もついてこない。

この地獄の渦中にいたことを、今では感謝出来るようになった。生意気だが、常に「無我」を忘れず、愚痴らずに夢を追う「夢中の姿勢」の大切さを教えてくれたからだ。


夢の「上場」を果たした喜び


先日ついに、サラリーマンの夢である初体験を味わうことが出来た。
我が社「フュージョン株式会社」がアンビシャスに上場したのだ。創業25年の社員の努力が念願の上場を果たしたのだ。入社2年の私は、この場面に遭遇できたことだけで感謝、感激である。お取引先様のご支援と社員一人一人の汗と涙の結晶である。先に述べたが、会社が傾くのは簡単だが、社会的に認められた会社を継続・拡大するのは容易ではない。
弊社会長が「五穀豊穣」を願い、5回上場の鐘を鳴らす場面は荘厳であり、居合わせた我々は身が引き締まる思いであった。

FBにも書いたが、誰もが一番大切なことは「夢」を持ち続けることだ。当たり前と言われそうだが、絶えず夢に日付を付けて邁進する「夢中」の姿は難しい。
私も62歳、浅学非才な爺であるが、この先いたずらに歳を重ねた爺にはなりたくない。

「頑張る奴は、夢を語り 怠ける奴は、言い訳を語る」

夢の上場経験は「いいか、言い訳と愚痴を重ねた数だけ、嫌な爺になるのだぞ!」と、己に戒める出来事でもあった。





2017年1月5日木曜日

2017年を迎えて。

2017年を迎え、新春をお喜び申し上げます。
皆様も穏やかな新年を迎えられ、本年も健やかに過ごされんことを祈念申し上げます。

昨年は、お陰さまで家族も会社も順調に過ごすことが出来ました。息子は進学先での高校柔道も決まり、娘は相変わらずマイペースでやっております。家内は子どもの飼育に奮闘しております。

弊社フュージョンは、順調に業績を上げております。この2月決算に向けて着地も見えてきましたし、米国DMA公認のファンダメンタルマーケター資格取得のeラーニングも、お客様からご支持頂戴しております。これも皆様のご支援、ご鞭撻のお陰と、深く感謝申し上げます。


本年やりたいこと



昨年品切れで入手できなかった「逆算手帳」を手に入れ来年は活用したいと思っている。
既にご活用の方もいると思うが、この手帳は通常の日々のスケジュールをこなす為のものでなく、「こうありたい」を実現するために、ビジョンから逆算して計画を立てることに特化した手帳らしい。

残念ながら本年も私の手帳は目先のやるべきことを記入した「行動確認ツール」である。やはり、今を乗り切るロービーム視点中心になりそうだ。
中長期事業計画や採用計画、子どもの進学など、会社や家族のハイビーム視点での将来像はあるのだが、そこへの自分の関わりと当事者意識や自身の具体的行動は忘れがちです。

「明日ある姿を思い浮かべて、今日を生きる」の姿勢の積み重ねの日々とその日暮らしの行動の365日の有り様は、1年で大きな差になる。「逆算手帳」はなくても、仕事では決算までにやる事と、2017年、2018年そして2020年度へのハイビームの行動チェックをしようと思う。
東京オリンピック2020年度は、フュージョンは29年目を迎え社員も経験を重ね、更に飛躍を目論む。家族では息子は大学?、娘は就職している筈である。私は65歳を迎える。
誰にとっても、まる4年の大切な1,460日を有意義に過ごしたいものである。

有意義な行動の大前提は「健康体」であること。多くを望むにも、まず「健全な精神は健全な肉体に宿る」があればこそだ。古代ローマのユウエナリスのこの言葉の真意は、富や名声を求める前にこの考えを全うせよ!との事。まずは、平和で、無事に衣食住も整い、そして何より生きる目的がある、ことに感謝することから始めよう。

以前紹介した80歳を迎えた大先輩の言葉を思い出した。
「俺たちが一番悲しいのは病気になること。そして一番虚しいのは「きょういく」と「きょうよう」を失うことだ。「今日行くところがある」と「今日、用事がある」これが生きる価値だ。と教えてくれた。

さあ、本日も元気に「今日行く」と「今日の用事」を、明日に向かって頑張ろう。