2018年12月28日金曜日

2018年に感謝をこめて

いつの間にか2018年が終わる感じだ。慌てて本年を振り返り、来年を考えてみた。

弊社の2018トピックスは、念願であった札幌駅前に本社を移転。東京オフィスは全面改装して環境整備も整い、皆が快適に業務に邁進中である。

弊社の今期営業活動のキーワードは「変幻自在・臨機応変」。組織の役割り・縦割りに、横槍り・横串し歓迎で最適チームを機能させる。元々、仲間を褒め、認め、教え合う社風なので良好な科化学反応が起きている。(Uniposの事例)
https://blog.unipos.me/2018/06/01/fusion/

素晴らしいお取引様と社員の奮闘のお陰で、業績も好調な1年であった。改めて皆様に深謝すると共に、2019年も社員一同、顧客分析力や企画力を磨き、お得意先様の要望に幅広く、的確にお応えできる体制づくりを目指していきたい。

さて、我が家の2019年だが、3回生の娘が就職を考える時期となる。専攻の海洋設計は需要が多いと、娘は呑気なものである。息子は高3となり高校柔道の最終勝負。子ども達は重要な年だが、本人たちの自覚は甚だ怪しい。私はハラハラ・ドキドキの年になる。

まさかの坂を乗り越えろ


2019年は、試練と挑戦の年になりそうだ。人生、登り坂と下り坂の隙間に「まさか」の坂がある。まさかを乗り越える苦しさを「成長痛」として人は変わる。思わぬアクシデントや過去の成功が通用しない時代に、機敏に対応する柔軟性と正確さを肝に銘じたい。

色々とあるが、やはり健康が一番!最上の喜びは、社員も家族も元気に過ごせたことだ。拙いブログのお付き合いにも感謝し、皆様の「健やかな新年」を心より祈念申し上げます。そして来年も宜しくお願い致します。「報恩謝徳」

2018年の感謝を込めて









2018年12月8日土曜日

幸せへの道

柔道息子が、勉強に目覚めた。今まで部活で遅く帰宅・風呂・飯の後は倒れるように爆睡の息子が、毎日机に向かっている。あまりの変化に家内と「どうした?」である。

進学も進級も不安な息子に「勉強しろ!」と言ってきたが「うーす!」の生返事だけ。今さら親の苦言が功を奏したとは到底思えない。

原因を尋ねても「別に」としか返ってこない。まあ、やる気が出たので「ほっとけ」である。答えは全て自分に返ってくるのだから、親は静観するしかない。

世の親が言う「この子はやればできるんです」は無意味な言葉。やらないからできないのだ。大人なら「自分は、やればできる」は言い訳と同じ。「だったら、やれよ」である。
「強制でなく自発からしか、行動変化は生まれない!」のに、黙ってられないのは、やらない・できない・させない理由を、お互いの言い訳にしているからだ。

会社の人材教育もそうだが、学ぶ気持ちがない人に、幾ら教えても無駄。学びたいと思えば、教えなくても勝手に学ぶ。学びたい気持ちを醸成して、教育が共育になると思う。

息子の様変わりをみて、今までの叱咤激励を反省。結局、信じていないから文句がでる。高3目前に、仲間と将来を語り、刺激され、考えて、自分で変わりつつあるようだ。
勿論、変化だけで結果は約束されないが、結果への「絶対必要条件」なのは間違いない。

自分で選んだ道が幸せの道


とにかく、息子の変化の結果は座して待つのみ。柔道も全国レベルになれるかの勝負。おまけに、ここに来て、練習中に関節技で右手肘の靭帯損傷。大会前のリハビリも重なり、彼は、結構しびれるヤマを乗り越えなければならない。これも自分で選んだ道。自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかないのだ。

誰でも人生の岐路で、決断する場面は常に訪れるもの。劣悪な環境や、目標が高ければ目指す道は険しい。自分で決めたら、挫けようが、這い上がろうが、それが人生なのだ。

人間の成長過程を、スチーブン・R・コビーは「7つの習慣」でこう書いている。

「思い」の種をまき「行動」を刈り取り、「行動」の種をまき「習慣」を刈り取り、
「習慣」の種をまき「人格」を刈り取り、「人格」の種をまき「人生」を刈り取る。

結局「人生の収穫」は「決めた道への生き様」を重ねる道程が、幸せの道なんだな。

自らで良き人生を刈り取れ











2018年11月24日土曜日

あいつは、気が利く。

学校でもビジネスでも、地頭が良く、高いスキルと知見をもつ優秀な方は数多くいる。しかし、優秀=活躍かとなると、必ずしもそうでない。実は、大活躍する方は人気もあり好かれるのだが、皆がいう共通点が「あの人は気が利く」だ。

「気が利く」とは、心配り・思いやり・配慮・気遣いなど。これは、好い奴・優しい・好感から信用、信頼へと波及しやすい。具体的な気が利く人の7つのポイントを挙げてみる。

まず①「挨拶と感謝」を大切にするので気持ちが良い。常に全体をみて②「場を読む」ので正確な状況判断ができ③「先読み」ができる。会話では④「相手を否定せず」⑤「聞き上手」なので人の気持ちや⑥「相手の気遣いに気づき」呼応した⑦「気配り」ができる。しかも、さりげないので、計算やアピールに映らないのだ。

並べると「気が利く」は容易ではない。しかし「気が利かない人」から学ぶ事はできる。「我」や「自己主張」は大切だが、極端すぎると付き合いが継続しない。先様が人物より、提案の中身次第だけになるからだ。また社内の軋轢も生みやすい。仲間の声を反映しないと、周りを巻き込む一体運営が成就できない。

前行程は神様、後行程はお客様


松下幸之助は「前工程は神様、後行程はお客様」と言う。部品などを供給する協力会社は神様の存在で、その後の行程を担う社内部署は、お客様のように接しろと言うことだ。

我が社も同様で、協力会社がなければ業務は滞るし、案件遂行の後行程、バックグランドの社内の企画・推進チームへの細心の気配りは、高質化と停滞解消への近道になる。

松下幸之助は、後ろの行程をお客様とするポイントを3つ上げている。
①お客様を意識した後行程の依頼をする。
②後行程の「しやすさ」を考えると知恵を出す事に繋がる。
③後行程に「困っていること」を聞いてみる。ニーズはそこにある。

世間で活躍する方は、自分の主張以上に相手を見つめ、謙虚である。総じて誰もが受け入れたくなる魅力がある。つまり根っこに「気が利く」があることだ。

「能ある鷹は 爪がない」


切れ者を目指していた生意気な頃、ガツンと言われた上司の言葉が、今なら沁みる。
「剃刀のような切れ者は要らない。能ある鷹は爪を隠すだ。突き詰めると『爪がない』方がうまくいく。皆が自分より優秀なのだから、協力を頼むのさ」

「真の賢人は、あえて愚鈍を装う」組織内に承認欲求が渦巻く中で、自分を殺して相手を活かし育てる度量は、さすがである。因みに、この元上司には今でも頭が上がらない。

「能ある鷹は、爪がない」「吾、唯、足るを知る」こんな心境になりたいものである。

気が利く仲間に囲まれて

2018年11月10日土曜日

素敵な夫婦の決め手は

最近、休日に家内と過ごす時間が増えた。結婚当初は糸の切れた凧で、家の事は家内任せ。時間と気持ちに余裕ができ、子どもが小学生の頃は家族との時間が拡大。最近は子どもが留守で、結果的に家内と過ごす。そして次なるステージは夫婦2人での過ごし方だ。

子どもが自立したら、夫婦で円満に?余生を過ごすことになる。今から家内との接し方を改める必要がありそうだ。そのためにも、現在の課題と対策を考えた。

課題1.体力の格差:圧倒的に家内が健康で元気。亭主は体力向上が急務。
課題2.過ごし方の共有:夫婦での共同行事と自分の時間の充実の模索。
課題3.晩年夫婦のコミュニケーションを探る。

対策1.体力格差には、心身共に健康づくりを目指すしかない。
私の70歳時に家内はまだ50代半ば。家内は元気にテニスを楽しみ、私といえば投薬状態。これは、やばい。1日1,800Kcal厳守で5Kの減量と日々散歩30分を実行。そして頭の健康は認知症予防として、これ、それ、あれ、どれの「こそあど言葉」を禁止。「ほら、あれ、あれ!」のあれを、私が思い出すまで待っている。これは、結構辛い。

対策2.今後の過ごし方
今は、買い物や柔道応援など夫婦で違和感なく過ごしているが、問題はその先。気を付けたいのは自分が暇だからと言って家内を振り回さないことだな。ゴルフや野球観戦に勧誘したいが、無理させない。それより自分時間としての趣味、バンドなどの復活かな。

対策3.晩年夫婦のコミュニケーション強化
子ども話題から家内話題へと会話を切り替える。熟年離婚は、亭主の無関心さと身勝手な所業と認めたうえで、家内と我が家の課題と解決策を話し合う。仕事では当たり前でも家庭では難儀なタスク。まずは夫婦の会話を増やす以外なさそうだ。

「素敵な夫婦の決め手は『ありがとう』のたった一言」


書籍引用で恐縮だが「自分が正しい?相手が悪い?・・その考え方こそが、悪いのです。謝罪し合える、感謝し合える関係を作りなさい」とのこと。
随筆家で精神科医の、斉藤茂太先生の言葉は感慨深い。結論は「家内に花を!」である。

「他人に花をもたせよう 自分に香りがのこる」


家内に花を!





2018年10月22日月曜日

安田学園柔道部⑤ 悔いなき一年一念であれ!

重量級が揃っていた3年生引退に伴い、安田柔道部は夏合宿で増量を目指したが、現状は軽・中量級の多いメンバー構成となる。個人戦は各階級での上位を目指すが、団体戦は強豪校は重量級を揃えるので、相手との体重差が大きいと不利になるが、仕方ない。

安田は60Kから始まり、最重量の息子で100K級。まだまだ力不足が、強豪の上背もある100K超級が相手だと苦戦する場面が多い。柔道の真骨頂に「小男が大男を見事に投げ飛ばす!」は爽快ではあるが、余程、実力に差がなければ、あまりお目にかかれない。

選手は、かける技以外、どう組むか、どうかわすか、どう返すかも徹底的に鍛錬するので、お互い簡単には投げられない。打破するには「体幹を鍛える」も重要で胴体部を強くすることで、全ての運動に連動して強化されることになる。

胴体を構成する、横隔膜・多裂筋・腹横筋・骨盤底筋郡の4つを鍛えると、体の中心がしっかりするとのこと。腕立て1,000回で腕力を強靭にしても、腰や肩との連動を図らないと意味がない。バッティングでも腰が入らないと、球を遠くへ飛ばせないのと同じ理屈だ。

皆の持つ「感謝力」もパワーの源に!


先日の「東京都学年別3人団体戦」は1年生がベスト8で2年生は3位であった。国士舘、日体荏原、修徳、安田と「東京4強」に位置しているが、優勝までの道のりは遠く険しい。

直近の朗報としては昨年同様、ロシアチュメニ国際柔道大会に参加した16歳の66K・81K選手の2名が共に「金メダル」を獲得!加えて福井の国体で、中堅選抜の安田3年部長の東京都チームが優勝。この素晴らしいニュースに安田柔道部は沸いている。

こんな息子たちの柔道生活も、3年の夏までだから残り1年もない。ケガせず、体幹を鍛え、強豪校以上の練習を積み重ね、来春の選手権全国大会の日本武道館、金鷲旗大会、夏のインターハイ全国大会の鹿児島、茨城国体と、勝利への執念を燃やし続けて欲しい。

常に周囲への感謝を忘れない安田柔道部は、感謝力も糧にして、一心に指導くださる川合先生と「満面笑顔で称え合う姿」を実現するのだ。これこそ言葉を超えた最高の恩返しであり、無上の喜びとなる筈。特に2年生は悔いなき一年一念であれ!と願うばかりである。

安田柔道部、毎年が一年一念!









2018年10月6日土曜日

素晴らしき日曜日

我が家のひかりケーブルに「黒澤明」シリーズが再登場。改めて作品を眺め「七人の侍」「赤ひげ」など代表作は感慨深いが、結構知らない作品があることにも気づいた。

その中の一つ「素晴らしき日曜日」1947年(東宝)を初めて鑑賞した。敗戦直後の東京を舞台に、貧しさに立ち向かう恋人の姿を描いた作品である。この黒澤の初期作品の評価は賛否両論分かれるらしい。それも肯定派と否定派が同じシーンで分かれるのが興味深い。

焼け野原が残る昭和22年。人々は貧しく不便を我慢しながら生きていた時代。お金はないが楽しいデートの筈だった恋人同士が、モデルハウスでバカにされ、知り合いを尋ねても金の無心と勘違いされ、だんだん惨めになる彼と、必死でフォローする一途な彼女。

映画の終盤。気を取り直した彼は、誰もいない野外音楽堂で演奏の真似事をするつもりが、北風に邪魔され舞台にあがれない。唯一の観客、彼女の拍手も届かない。ふっと顔を上げた彼女が「私達に元気をください」と映画を見ている観客に拍手を呼びかけるのだ。まっすぐに、観客の我々に目を向け、涙ぐんで語りかけるのである。

映画の常識を超えた演出に「拍手で応える客はいない」と否定的な考えの人と「観客と一体化させる試みが素晴らしい」と肯定する人と真っ二つに分かれるシーンだ。
実は、この映画がフランスで上映されたとき、観客が拍手喝采の総立ちになったと聞く。

うつむく彼は、万雷?の拍手に後押しされ、彼女の編み棒を手に持ち、舞台中央でコンダクターになって指揮を始める。すると空想のオーケストラの音が聞こえてくる。二人の未来が、音楽によってモノクロから総天然色に変わったかと錯覚してしまう場面だ。

観客が、主観的な応援団になるか、客観的な第三者になるかは、あなた次第である。映画は娯楽の玉手箱。単純な私は、世間の風(北風)に負けるな!と拍手喝采のエールを贈った。そのほうが楽しいし、真摯な彼女の訴えに素直に応えたくなったからだ。

何でも、出来上がった物への批判は簡単である。まずは文句や批判の前に、作り手の感性に近づく努力をしてみる。そのうえで納得できなければ、代案を考えるのがセオリーだ。

私は黒澤明の狂信的なファンではないが、常に本物に拘った映像と緻密な演出で、数々の傑作を生み出したことは事実。秋の夜長「素晴らしき日曜日」を観るのも一興である。鑑賞希望の方は、私からのネタばれを心よりお詫び申し上げたい。で、拍手はあなた次第。

黒澤明の迷作、名作?



2018年9月22日土曜日

こんな人になりたい。

9月6日の北海道大地震は、本社札幌の弊社にとって大事件であった。幸い社員は無事だったが、停電関連の問題解決に追われて、改めて危機管理体制を再考する機会となった。

危機管理は天災も人災も「先手の予防と後手の治療」の準備。それには組織内でやるべき事と、個人的には、自己成長を目指して、人格・精神、倫理観の醸成も大切である。

最近マスコミを賑わした二人の人物から、人災の有り様と、自己変革の肝要を実感した。
一人は、歴史に生まれた歴史の男、アマチュア協会の終身会長。二人目は、ひたすらボランティア活動をしながら行方不明の子どもを救った男。二人の共通点は、どちらも、同じ誕生日の78歳の男である。

しかし「人としての有り方」は対極に位置する。地位と名声を求める人と、何も求めず他人の為に尽くす人。いったい何が違うのか。自分の人生脚本とは、生い立ちや環境で幼少期に「禁止令」を自分に課してしまい、人生ドライブの「アクセル」と「ブレーキ」の基準も無意識に作り上げてしまうという。

二人は「何が幸せ・何を求める」の価値の基準が全く異なる。「自我」へのアクセルとブレーキが間逆であるから、終身会長の判断は、自分が満足か、納得か、良いか悪いかだが、ボランティアの方は、相手が満足か、納得か、良いか悪いかである。行動基準は「自分か相手か」の違い。これが天と地の差になる。

赤信号、みんなで渡れば怖くない


実は「自分」基準のトップ組織は、誰にも分かりやすく、組織がそれに応えようと動くので活発化する。反面、際限なく暴走する危険をはらみ、いつのまに「ウチの常識、世間では非常識」となり「組織崩壊」へと繋がりかねない。今、世間で噴出しているパワハラ問題や忖度も氷山の一角であろう。

自己主張が苦手な日本人は、権威主義的パーソナリティが強いといわれ、絶対的権力者に服従し、少数派を排除する傾向がある。戦前のファシズム、現代では「アムラー」など、それぞれがヒーローを求める由縁でもある。


「沈没船ジョーク」をご存知だろうか。沈む船から脱出する救命ボートに、女性と子どもを乗せ、男性に残ってもらう決め台詞。米国人には「お前はヒーローになれる」、ドイツ人には「これが規則」、日本人は「みんなが残ります」が効果覿面という話である。

この話、日本人の集団行動への皮肉。一人ひとりは、思慮深く相手を気遣うやさしさはあるのに、それを行動に移したり、異を唱える勇気と自己主張が弱い。組織では、一人で信念を貫くボランティア男は、異質な少数派となる。

しかし、集団の平均的一人として皆んなで渡れる時代は、とっくに終わった。今後、目指す姿は「正しい信念と強い実行力をもつ人」である。欲を言えば、組織の中で排他されず、正しい主張を波及させる伝播力と時には立ち回りの器用さだ。

今夜もTV画面から、満面の笑みと元気一杯の「ボランティアの英雄」の姿。思わず、こんな78歳になりたいなあ、と画面に見入ってしまった。

人生脚本を変えていく



2018年9月2日日曜日

脂肪で太るな!

ようやく9月。残暑厳しいが食欲不振で夏バテ気味の方は、秋の味覚で体調を戻したいところだ。我が家の食欲は、相変わらず旺盛だ。

私はこの10年、糖尿病、高血圧、高脂血症対策でカロリーは気を配るが、加齢による基礎代謝の低下への対策は手つかずだ。運動不足で筋肉は細くなり、余分な脂肪は増えている。


盆休の息子は「柔道&食いトレ合宿」で朝昼晩は、どんぶり飯3杯と、夜食に豚丼か牛丼。これが軽量級にはきつく、シックスパック腹筋の筋肉体系で動きも早いが、相応の胃袋で食欲に限界がある。一方息子のような重量級はパワー重視で、増えた脂肪を筋肉に替えていく。

軽量級と重量級の体系を例えるなら「ジープと戦車」。燃料タンクも馬力も走行距離も違うので、車種変更より排気量を大型化する目論見だ。

実は、燃費の悪いことが一般的なダイエットには極めて健康で有効的手法である。

合宿前、戦車の息子はアキレス腱、ジープの友人は肘の腱、後輩は肋骨を痛め、それぞれ鍛えられる部位の筋トレと、食いトレの合宿となった。

監督の指示は、息子が腕立て1,000回、友人・後輩は階段昇降50往復とランニング。この結果、とんでもない身体になって戻ってきた。友人は競輪選手、息子はレスラー。更に総合的練習までは出来ずで、体重増加に転じたようだ。

食べ過ぎの体重増加は脂肪で増えるので動きは鈍くなるが、次に増えた脂肪を減らして、筋肉に転化する「絞り込み」が重要である。

体積で脂肪10と筋肉8は同重量なので、脂肪を減らした分の「8掛け」の筋肉に転換すれば、体重は同じでもスリム化する。そこから筋肉が太れば、ベストなアスリート誕生である。

実は、この筋肉量を増やすことが、一般的なダイエットに極めて健康で有効的手法でもある。同カロリー取得なら筋肉体型の体重は減るのだ。


さらに、筋肉1キロの基礎代謝は13Kcalで、脂肪1キロは4Kcalである。単純に筋肉体系は脂肪体系の3倍食べても太らない計算だ。逆に言えばダイエットにはこの3つしかない。

1.食事の質と量を変える。2.運動で体脂肪を落とす。3.筋肉で基礎代謝をあげる。

私も、基礎代謝が減れば、食事を変えて運動をするだけ。年齢と目的に合わせた上記3つの組み合わせなので、面倒と思わずに実践!と自分にも言い聞かせたい。

写真は、体重は変わらず、脂肪で太った野球息子(上段)が脂肪から筋肉に替わった事例(下段)。実は、筋肉化が「脳筋」まで併発してしまった事例でもある。

上段ビフォア、下段アフターだが、脳筋化はまずい!






2018年8月17日金曜日

安田学園柔道部④ 夏柔道も熱い!

今夏「全国高校野球・甲子園大会」の100回記念は大変な盛上がりだ。地元や贔屓の高校は目が離せない。実は、高校柔道にも九州柔連と西日本新聞社主管の最大の団体戦、福岡「金鷲旗大会きんしゅうき」がある。今年で第92回目の開催だが、関係者以外あまり知られていない。原因の一つに野球と柔道では競技人口が違うことがある。

高校生のスポーツ競技者数を調べると、1位野球17万人、2位サッカー17万人、3位バスケ16万人、陸上11万人、バトミントン10.6万、テニス10.6万と続く。双璧のサッカーだが、未だ野球人口がトップであり、甲子園ファンが多いのも当然だ。それに比べ、柔道は男女あわせて2.2万人。剣道の4.6万人の半数にも満たないのはショックである。

世界の柔道人口は、ブラジル200万人、フランス56万人、ドイツ18万人に続き、日本は17.5万人。日本発祥の競技なのにと悲しくなる。国内に向けて、柔道の魅力、ルール、組み手力の見方などの広報活動と「2020東京五輪」での日本柔道の大活躍を期待したい。

金鷲旗大会は熱かった


マリンメッセ福岡で金鷲旗2018は盛況に開催された。出場数500校で3,500名の選手が一同に並ぶ壮大な開会式で始まり、選手は学校の名誉をかけ熱い戦いを繰り広げた。優勝まで8試合を勝ち抜くので10面の試合場はフル稼働。A~Hの8パーツで勝利してベスト8。最終日は優勝まで5試合連続の体力勝負でもあり、別名「地獄の金鷲旗」と呼ばれる。

安田学園は1回戦シードで、初戦勝利の名古屋工と対戦。勝ち抜き戦なので、先鋒が2名と次鋒が3名勝ち抜き安田勝利。次の南福岡・熊野戦は安田先鋒が5人抜きで勝利。Gパーツでの強豪・岡山の作陽高校には残念ながら準々決勝で敗退した。作陽は塙の佐賀工、前回優勝の神奈川・桐蔭を破り、Gパーツ優勝のベスト8からの決勝ステージに進んだ。

しかし決勝ステージで、作陽は福岡の大牟田に敗退。その大牟田も奈良の天理に負ける。なんと、上には上がいるものだ。決勝戦は「国士舘×天理」。天理を下した国士舘の日本一を見届けた安田は「打倒!国士館」を誓い合い、金鷲旗の全行程を終えた。

男子は国士舘高校、女子は南筑高校が本大会の高校柔道の頂点に立った。準優勝校はもとより、残る498校3,486名の選手達は無念である。会場は応援者も含め喜怒哀楽の一種異様な風が吹く。来年は息子たちにも最後となる、暑く熱い金鷲旗が楽しみである。

金鷲旗開会式とGパーツの安田学園


その後、金鷲旗で敗れた天理高は、2週間後の三重インハイ団体戦で「国士舘×天理」と再度の決勝戦となる。誰もが金鷲旗のことがよぎったが、なんと天理は国士舘に2-2で、代表戦にもつれ込み、見事に勝利し日本一となったのだ。

勝敗よりも「自他共栄・精力善用」が柔道の教え


まさに勝負は時の運。当日の体調、組み合わせ、先鋒からの勢い、波に乗る、守りと攻めの気力の有り様など、実力以外の計り知れない要素が、勝敗に絡む事を実感した。

「練習は嘘をつかない」を信じる選手は、耳をつぶし、爪をはがし、手指・脛を変形させ、一途に練習に取り組む。息子も秋の学年別、選手権に向け同様だ。そして何より「武道」としての「礼・感謝・強い気持ち・諦めない心」を柔道で鍛えてくれている。

「古臭い・道着がダサい・ケガが多い」だけで日本の柔道人口が減少するのは、あまりに寂しい。「柔道の奥深さを知れば、柔道家を目指す若者は増える」ことを念じながら、私は一柔道ファンとして、こうして拙いブログを書くしかない。

今、スポーツ・部活をお探しの方、ワールドワイドの「柔道」、ぜったいお勧めである!!

真の柔道家を目指して










2018年8月3日金曜日

還暦さんは元気!

東京は連日30℃越えで、さすがにバテバテである。埼玉熊谷は41.1℃を記録したらしい。カリフォルニアの50℃は想像もつかないが、街全体がサウナ状態である。そして西日本集中豪雨は心が痛い。広島の友人とは連絡を絶やせないが、早い復興を祈るばかりである。

この猛暑は、日本の経済成長率を0.2%押し上げるとか、7,000億の経済効果とも言われている。確かに、飲料・食品、クーラー・扇風機の家電、日焼け防止商品など新たな需要は計り知れない。一方、縮小分野は建設の屋外工事数、屋外施設の集客、医療費と温水器など。医療費のマイナスは、老人が病院に来なくなることが大きな理由らしい。

ご高齢の会話で「暑さで具合が悪くて病院に来られない。早よ治して病院で会おう」は笑い話だが、確かに昼間の病院は高齢者で溢れている。逆に観光地やレストランは、元気で丈夫な高齢者が飛び跳ねている。この二極化と拡大は大きな現象である。

人生100年時代に備えて



わが社では初の還暦社員を迎えるが、カネボウ時代の後輩達は続々と定年を迎える。当時の上司が団塊の世代で70歳なので当たり前である。定年時、65歳まで再雇用か、他に就職か、独立か、ご隠居さんかを決めなければならない。従来のサラリーマンなら、住宅ローンも子育ても終わり、蓄えと退職金や年金で、年一回の旅行や孫の面倒を楽しみに過ごす老後の筈だった。

しかし現実は65歳まで稼がねばならず、まだ若いし隠居は酷。家内には邪魔者あつかい。ここは年収ダウンで再雇用か、新たな就職先探しだが、これが難儀。良い就職先など簡単に見つからない。なまじ会社で偉かった方は、待遇と役職に拘ったりすると更に面倒だ。肩書き無しで通用する「実力と人脈」を兼ね備えていないと、勘違いになりかねない。

小説「終わった人」ではないが、所詮、昔の思い出には勝てやしない。全くのゼロベースで、楽しい思い出をつくる意欲を持つことだ。私も「パワポの企画書」も「出張手配」も人任せで使えない男だったが、この会社で少しは使える社員になれた?と感謝している。

現在のフュージョンは平均年齢が30歳代。多くの社員は、自己成長とキャリアアップに真剣である。昔の大会社のような「滅私奉公」に徹し、生涯雇用で退職金で老後は安泰。などは過去の話。これからは100歳時代に向けて、「自分の糧になるか」「周囲が喜ぶか」そして何より「自分が楽しいか」が大事なんだろう。

還暦の仲間達よ「そんな事は分からん」「昔は・・」「誰かに任せる」は禁句ですぞ。

初心も青春も年齢でなく「若い心」










2018年7月15日日曜日

安田学園柔道部③ 本気ふたたび

安田学園柔道部は、今のところ思うような結果が出せていない。インハイ団体戦では優勝した国士舘に負け、個人戦共に全国大会への道は途絶えた。先日は「国体・東京予選」に出場権をもつ面々は、各階級の代表を賭けて出場した。

安田柔道部主将の金野選手は、前回惜敗した国士舘の選手に一本勝ちで優勝。秋の国体への中堅枠(90K)を獲得した。彼の想いと努力を知るだけに、皆が歓喜した。
国体は、各都道府県の代表選手の団体戦。東京都は先鋒・次鋒が足立学園、中堅が安田学園、副将・大将が国士舘の最強のメンバーで、福井での国体に乗り込むことになる。

他の選手はリベンジ叶わず、課題を残す大会となった。負け試合を分析し相応の変化と成長をしなければ、相手に勝つことは出来ない。息子も国士舘の100K級に勝たないかぎり次に進めない。それには「絶対勝つ!」の強い気持ちと、課題への猛練習が必須だ。

本番のイメージを想定し組み手や技を、身体に沁み込むまで繰り返し反復する。それを身体が無意識に反応するまでやれるかだ。当然相手も勝ち続ける為に練習してくるので試合の前から、本気の努力の勝負が始まっている。息子も目の色が変わってきたようだ。

その一方で、安田は部活一辺倒だけでなく、進学校としての日々の小テスト、英語体験の海外修学旅行、勉強合宿、芸術体験などの「カリキュラムと柔道」の共存も求められる。「文武両道」の本気度も問われ、まさに筋肉頭の柔道息子は最大の正念場である。


「本気」になると自分が変わる



「努力すれば報われる」はドラマの話。勝利を信じ必死に練習しても、負ける時は負ける。その時は落ち込んでも「まだ努力が足りてない」と切り替え、乗り越えるしかない。

「努力」とは「報われる・報われない」でなく「自分が納得するか・しないか」が判断の基準。だから努力には「上限・下限」も無ければ、ここで終わりの「期限」も無い。

3年生の多くは「金鷲旗大会」で引退となる。どうか文武両道の努力を加速させ、大学での勉学と柔道に邁進して欲しい。今までの先輩の「本気」は揺るぎない事実。だが真民は、「自分がまだ変わってこなかったら本気でない」という。次の本気へと変えるしかない。

後輩たちは、このあとも学年別、新人戦、選手権と試合は続く。大好きな先輩に恥じぬよう「本気度」を上げ、先生と共に悔いなき一日一日を過ごして欲しい。脈々と続く本気の努力「安田魂」を、息子たちが継承することを期待して止まない。

来週は3年生との最後の団体戦、世界最大規模の福岡「金鷲旗大会」に悔いを残すな!

悔い無き日々を!






2018年6月26日火曜日

娘よ、20才の誓いを。

この6月、民法上の成人年齢の改定が決定した。2022年4月より18歳が成人となるから、今の中学2年生14才が対象だ。酒、タバコ、ギャンブルは除外だが、今一度成人を考えるよい機会である。

今春、娘が二十歳になり浦安のTDL成人式に晴れ着で出席した。思い出と写真のために、成人式で着飾る気持ちは分かるが、本来の目的は「成人としての責任」を自覚することである!

現在の民法上の「20歳の成人」で未成年と大きく変わることを列挙してみた。

1.刑事裁判の裁判員になるかもしれない。
 「市民がもつ日常感覚と常識を裁判に反映させる為、当然常識人であれ」
2.酒、タバコが正々堂々と嗜める。
 「自制も乱用も自由、健康管理は自己責任」
3.競馬、競輪など公営競技で勝負できる。
 「お金に感謝。ギャンブル散財も本人の自由」
4.国民年金の加入義務が発生する。
 「20~60歳は強制加入の基礎年金。老後・障害・死亡の不安を一考せよ」
5.ローンや賃貸契約など親の同意は不要に。
 「親や周囲にも影響を与える事を忘れるな」
6.犯罪行為は実名報道される。
 「少年少女Aではなく、前科は生涯つきまとう」
7.結婚は本人の意思で可能になる。
 「親が反対でも結婚できるが責任を持つ事」
8.養子を迎えることができる。

保護者の庇護や承諾を卒業して、養親になることもできる成人。並べると「大人は自由でいいな」から「大人は色々と背負うな」に変わるはず。成人に相応しい自分への覚悟はさらに重要になる。

娘は、大学3年でゼミも決まり、海洋設計士と公務員資格取得などを目論んでいるらしい。自立心が目覚めたか、黙々と課題に取り組み、お小遣いはバイトでやりくりし、貯金もしているようだ。しかし家事は全て「親頼み」である。

それより、今の心配は17才の柔道息子。殆ど教科書も開かず、朝たたき起こしても目覚めない。柔道以外、親に「おんぶに抱っこに肩車」状態。この未完の大器?が覚醒まで、私の体力が持つかどうかの勝負である。

家内は「あなたの原動力は子どもなのよ」という。そうか、息子は敢えて親に心配(親不孝)させているのか?。ここはそれを信じ「生涯現役」を決意しよう。そう、自分のための目標は、単純に決めた方が気が楽である。

しかし、家内からはキツイ一言。
「まず、親が子離れしないとね!」そう、私が「子離れ」していないは問題か。

子どもたちは、いつかは巣立つ。その時は、私の原動力を「家内」にする?一方、家内のほうは・・?。思わず汗がでる。

成人は楽じゃない。腕の太さでもない。
















2018年6月2日土曜日

安田学園柔道部② ケガをするな、させるな!

この春、安田学園柔道部は新人も加わり、息子も高2となった。秋まで関東大会、インターハイ、国体、金鷲旗、全日本ジュニアと大会が続く。全国の大会は予選から長丁場で、他も平行するので、選手のケガの有無と適正を考えながらメンバーを決める監督も大変だ。

ケガをするな、ケガをさせるな


選手は体重と身体管理は勿論、練習中の気の緩みも厳禁である。先日も骨折者を2人出したが、ライバルより「故障」が最大の敵となる。何より稽古を積んできた本人には最もつらい事態だ。実力も努力も一瞬にして水泡と化す。

息子も中3で全中千葉予選前に左足首を骨折。テーピングで勝ち抜くも、決勝戦で骨折の左足首を攻撃され、個人代表を逃した経験を持つ。先日は先輩が試合中に肩を強打。痛みで次の相手に惜敗し、関東大会無差別代表を逃した。のちに骨折と判明。続くインハイ個人戦は諦め、団体戦に全てを掛ける。今までの功績など関係ない。

今、世間を騒がす「悪質タックル」などは、卑劣な行為である。以前は柔道も暴力問題に揺れたが、全柔連中心にルール改正や指導者の自浄努力で確実に功奏している。何より、選手生命を左右する事態を、意図的に集団で画策するなど言語道断である。

私も一昔前「けんか柔道」に遭遇している。襟裳を取って引き寄せたら、いきなり顔面に頭突きを喰らわし、フラッとした瞬間に技をかけるのだ。指導者が容認するのか、勝ちたいと願う血気盛んな選手の勢いなのかは、誰も判定できないのも事実。

息子は、もろに頭突きを喰らい鼻血を出した。出血は医療班がきて止血し、即試合再開。医療班は3回目を呼ぶと棄権負けになるから、後は自力で止血するのだ。因みに血のついた道着は、相手の要求で取り替えねばならず「代え」が無ければ棄権負けだ。

正々堂々と戦う気持ち


当たりの激しいスポーツは、いずれも凄まじい。だからこそ「故意」と「過失」の判断は難しい。意図して相手をつぶすは、本人しか知らない。正しく戦う心を醸成し、自覚なしの過失なら、それを指摘する指導者と本人が矯正する努力を忘れてはいけない。


先日のインターハイの支部予選では、個人戦各階級と団体戦も上位で通過。次の東京都の個人戦は、安田は善戦するも残念ながら、軽量級が足立学園、重量級は国士舘にほぼ独占された。幸いなことは、大きなケガがなく次の団体へと繋がることである。

東京都は、全国から猛者が集うだけに優勝は簡単ではない。残るは、インハイ団体戦で東京代表の上位2校に入るしかない。実は、安田学園は支部優勝したので、期待して6月17日の組み合わせをみると、国士舘シード1のベスト4のヤマに安田がいた。

組み合わせの不運と「個人戦では重量級が国士舘に玉砕したが・」と嘆いたら、息子から「だから優勝するしかない」と返された。今、弱気な発言は厳禁だ。自分が恥ずかしい。

頑張れ、安田学園。気持ちで負けず、正々堂々と戦えよ!そして、インハイ2018の開催地「三重」へのキップを手に入れろ!・・最後に一言、「ケガだけはするなよ」。

正正堂堂こそ威武堂堂



















2018年5月19日土曜日

思い出には勝てやしない。

先日、ドキドキして読んだ文庫本がある。定年後の生き様を描き、映画化された内館牧子の「終わった人」だ。年配者用の大文字が気になったが、それより色々考えさせられた。

文中の「思い出と戦っても勝てやしない」のセリフに思わず共鳴。美化された思い出は、現状に不満がある場合は絶対に勝てやしない。小説では、肩書き、権力を失った主人公が引退後、悲壮感と虚無感に苛まされ「栄光の思い出」を乗り越えようとする。

恋愛や結婚も同じで、冷めてから「熱愛の思い出」を引きずるのは辛い。逆に辛辣化された思い出は、破局を納得して元気になる。以前も書いたが、女性は恋愛を上書き保存する方が多く、思い出を消去するので、立ち直りも早い。別保存する男は、とかく引きずる。

つまり、良かった思い出ほど未練タラタラとなり、現状を憂い、懐かしむばかりで、前へと進ませてくれない。人生の終わりの回顧なら結構だが、次へ進むなら回顧主義に浸るのを止め、比較の不可能な「新たな思い出」を作ろうと決意することである。

延々と昔の自慢話をする人にはなりたくない。聞いている方は閉口し、結論は何かと聞きたくなる。同じ話でも、教訓の事例集のように話される人は素晴らしい。客観的に分析し、相手に役立つ何かを伝えようとされるので、思わず聞き耳を立てたくなる。

知識や経験を惜しみなく伝える人


「自慢だけのめんどくさい人」と「知識や経験を惜しみなく伝える人」の別れ目は、本人の「心のあり方」で決まるもの。「自慢を聞かせたい」でなく「何かを伝えたい」へと自分自身を「主客転倒」できるかどうかだ。自分は伝言係に徹するのだ思えば簡単である。

そうなるコツは、成功・失敗まで「人から得た知見」を、他の人に伝えると心得ること。この巡りを思い出として、魅力ある高品質の「伝道者」に切磋琢磨したいものだ。

少子高齢化の45年後には、18~65歳の働く人が、2人に1人になってしまう。今、自分たちがすべきは、「知識や経験を惜しみなく伝える人」の実践者になることだ。結果的に「強い個人」の拡大と連鎖が、如いては「強い集団」へとなるはずだ。

実は、弊社のマーケティングパートナーへの「社員としての宣言」の一つに「知識や経験を惜しみなく伝える人」とあるのだ。手前味噌だが、着実に強い集団に成長している。
ちょっと自慢に聞こえたならば「お伝えしたいが故」とご容赦願いたい。

「終わった人」URL
https://news.yahoo.co.jp/byline/torusaito/20180516-00085052/

新たな思い出を重ねて









2018年5月4日金曜日

お江戸の頃から「読み・書き・そろばん」

大昔より「読み・書き・そろばん」が大切だと言われている。時代でスキルは様変わりしようが、本質は不変である。現代は「入力・出力・判断」ともいえるらしい。

まず最初の「読む」。活字離れが進み、今の若い人は本を読まないといわれる。高速でスマホに文字入力する若者は、ネットで検索したりニュースや本を読むから、辞書と新聞、本の紙媒体は減少しているが、はたして本を読む人は減ったのか。

10年前、国内で年間7.7億冊の本が売れ、今は6.6億冊に減少。しかし全国の図書館の貸出しは年間2億冊増え、古本も何と2億冊も増えている。本の拡大とデジタル文字を併せ、膨大な活字時代である。つまり文字が紙からデジタルに置き換えたのだ。

「読む・書く」に共通の「文字」とは想像力を養うもの。文章から場面をイメージするから「海と太陽」と書かれても、太平洋側は海から太陽が昇り、日本海側は海に太陽が沈む。環境と経験での既成概念が「想像の元」になるので、当然違いが出る。他人の網膜の像は見ることが出来きず検証も不能だ。

揉めるのは「優先順位」が違うから


組織内で物事を共有化するには、互いの概念の違いを前提に、価値観と優先順位の刷り合わせに苦労しろ!という事だ。ベクトルを一致させたらプロセスと結果を追い求める。商売なら「お客様は神様」が最優先。上司でも部下でもなく、まして自分の都合でもない。

息子は柔道成長が最優先で、進路や就職など全く考えていない。夢を追うには大学での柔道も継続する必要がある。その為に、今をどう過ごすかを最優先課題として欲しい。

だから「そろばん」つまり物事を算段するのだ。娘は海洋設計士の取得に追われ、回りが見えない傾向がある。ロービームでやる事とハイビームの視点で「なりたい人物像」に自己研鑽することだ。努力に限界はなく、あるのは自己マネジメントの意識の差である。

「読み、書き、そろばん」は「語学、PCスキル、問題解決能力」に変わり、今はそれも変化する。決済や仕組み化がスマホに押され「PCが苦手」な若手層を出現させている。

しかし、世の中どうなろうが「読み・書き・そろばん」の習得と「相手を思いやる」心の余裕は重要事項。老いも若きも、これを身につけるに越したことはないのだ。

実は「書く」に関して、大いに戒めたいことがある。私自身が日々、PC・スマホが中心の生活とボケが重なり「漢字」を忘れてしまい、手書きの手紙に四苦八苦している。

スマホで漢字検索しながら手紙を書く。この情けなさを恥じるのは、私だけだろうか。


読み書きと、先を読む算段!





2018年4月14日土曜日

虎姫キャンディーズで思うこと

久しぶりに友人と「虎姫一座」に出かけた。5年ほど前に、このブログで紹介したことがあるが、浅草で昭和歌謡ショーを楽しませてくれるショーレストランである。

以前は「シャボン玉ホリデー」ザ・ピーナッツを絶賛したが、現在は「キャンディーズ微笑返し」編である。虎姫一座が踊りながら歌う「年下の男の子」を、とんでもない年上の中年の男の子が拍手喝采。当時を懐かしむオヤジ達には堪らない演出である。

ここの客層も少しずつ変化している。「虎姫一座」は当初、エノケン、笠木シズコの昭和初期ファンから、1950年代、1970年代へと戦略的にターゲットをシフトしている。TV業界の懐メロ番組も同様で、今は50代以上へと変化している。

当時、爆発的人気の「キャンディーズ」は、アイドルファンを大学生まで拡大し、ヒット曲を連発した。虎姫一座で知ったのだが、解散宣言後、ランちゃん、スーちゃんの後押しで、ミキちゃんがセンターをつとめた曲「わな」の誕生エピソードも3人の絆を感じる。

最後のシングル「微笑返し」は、楽譜初見でリハなしという実力勝負で、見事な出来栄えと惜別するスタッフ一同は涙、涙の収録だったそうだ。

3人は前もって絶頂期での解散を決めていて、その人柄と、わずか4年半の生き様も潔く、いまだに多くのファンを魅了し続けている。そのキャンディースが解散して40年が経つ。1978年昭和53年4月、彼女達は惜しまれながら「普通の女の子」に戻っていった。

楽しく迎える老後の世界


私は当時大学4年の卒業旅行の「合歓の里」で、キャンディーズの解散コンサートの合宿に出くわした記憶が鮮明だ。そこから会社員人生が始まったが、案の定、仕事漬けとなり、完全に浮世の世界とは隔離され、芸能関係は無知となっていった。

36年の激動のカネボウ時代を経て、現在は成長著しい「フュージョン株」で充実の41年目を迎えている。優秀な社員たちからも優しく敬老?頂き、幸せ者だと感謝している。

皆さんにとっても重要なシニア市場、東京オリンピックの2020年には65歳以上の33%が一人住まいとなってしまい、2025年には国民の3分の一が65歳以上で、75歳以上は五分の一になる。これは人類史上経験のない「超高齢化社会」に突入することになるのだ。

楽しい超高齢化社会に向け努力すべきは、以前にも述べた「今日、行くところがある・きょういく」と「今日、用事がある・きょうよう」への探求心と、その実現なんだな。

昭和53年風景と岐阜配属時代








2018年3月17日土曜日

昭和のにおい

平昌冬季オリンピックでは、開催国のパワーを世界が評価する事を痛感した。それは、東京オリンピックの責任と期待に繋がる。我々が、開催国としてのプレッシャーを感じることは悪いことではない。

日本の復興を世界が認知した1964年東京オリンピック。昭和39年のことである。私は小学3年。裸足のランナー・エチオピアのアベベや、柔道無差別級・オランダのへーシングが優勝したのは今でも覚えている。日本はレスリング、柔道、体操などの大活躍で29個のメダルを獲得してソ連、米国に続き世界3位の獲得数を誇った。

次の大阪の日本万国博覧会が1970年(昭和45年)中学3年の修学旅行が万博だった。長蛇の列の米国館「月の石」を諦め、太陽の塔で暑くて座り込んでいた。6ヶ月で643万人の来場者と、建造物とインフラ整備は「日本ここにあり」と誇らしかった思い出でもある。

男前で楽しかった昭和時代


ツギハギが、新品に替わる高度成長の大量消費時代から、オイルショックで「天然資源は有限」を実感。ファミコンは子どもの娯楽を大転換させ、今までの価値観を失うバブル期。それも土地神話崩壊と共に泡と消え、不景気の厳しい時代に突入。昭和後期は庶民も企業も、激動の時代を乗り越えてきた。

子ども達にこんな話をすると、興味深々で質問攻めにあう。教科書の世界を体感した「生きた化石」を見る眼差しは、少し複雑だが案外嬉しそうな自分もいる。

子ども達には、「昭和言葉」も意味不明らしく、えもんかけ・ズック・背広・ちり紙などは?死語だそう。私が『「背広」を「えもんかけ」に掛けて「コールテン」の「ズボン」と「チョッキ」を羽織って「床屋」に行く』と話しても、平成生まれには全く通じないので要注意。これに違和感ない方は、私と同じ昭和のにおいだ。

今は平成30年。人口25%の31歳未満の方は昭和を知らない。まさに「昭和は遠くなりにけり」である。のんびり、おおらかで「向こう三軒両隣り」は親戚同様で、不便を不便とも感じない時代であった。

昭和時代の、手紙・固定電話・集金・ノートにメモから、スマホ・PC・電子化・AIなど、ツールと仕組みは劇的に進歩したが、不思議と日々の忙しさや煩雑さは変わらない。技術の進歩と効率化の追求は、かえって業務を拡大させている。

多様性と個人を重んじる社会では、管理者に従来のマネジメント以上の緻密さと柔軟性を必要とさせる。その為にも外せないのは「あなたに従う・あなたの為に」と思わせる人間的魅力と、強いリーダーシップが前提となることだ。昔から不変なこと。

「あたりまえだの」苦楽化(クラッカー)は、昭和も今も、判断・同意・承認は「人」が「人」にするしかない。伝統と革新「不易流行」は「人が根っ子」で成り立つのだ。

昭和の良き思い出、古っ。










2018年2月17日土曜日

安田学園柔道部2018① 一瞬でなく一筋

2018年早々「全国高校柔道選手権大会」東京都大会が開催された。個人戦は各階級1名、団体戦は上位2校が全国大会に進む。安田学園柔道部は健闘したが惜しくも3位で終わり、優勝の国士舘と準優勝の足立学園が全国進出を決め、安田は補欠校となった。

国士舘、足立、日体荏原、修徳が東京シード4強といわれて久しいが、今回、安田学園がその構図を変えた。この安田の動きに他校も黙ってはいない。ライバル校は相手メンバーの階級、得意技、弱点の分析と攻略法を念頭に、練習と身体作りを仕込んでいる筈だ。

安田の新3年生は重量級揃いだが、新2年生は実力者だが重量級選手が少ない。どうしても5人の団体戦では「重くて強い」選手が揃っている方が有利である。

たしかに軽量級選手が、重量級から一本とる爽快感はある。しかし階級差にも限度があり、出来るなら「食いトレ」で体重を増やし各自の階級を上げたいものだが、軽量級選手は体脂肪率が数%台の筋肉質と、それに合う胃袋なので大変な荒行である。

もとから大喰らいの息子は「81kg階級」から高校1年後半で「100kg階級」に上げられたが、練習で体重が2~3kgは落ちるので、維持する以上のカロリーを摂取しないと体重増加に転じない。まして、肥満体は不要で脂肪を筋肉に換えて絞り込み、更に増量の連続なので、まさに「食い続ける意志と胃袋」も必要だ。

逆に階級を下げるのも大変である。食事制限だけでなく、本来の動きやパワーを損なわない栄養とトレーニングが前提になる。理想は、少し階級上限超えの体重とパワーで、少し減量(絞る)でパス!だが、現実はそんな簡単にはいかない。柔道に限らず階級制の競技は、自分との戦いも並行するので、その分厳しいのかもしれない。

花は一瞬にして咲くのではない、花は一筋に咲くのだ。



安田学園柔道部の次なる目標は、夏の総体(インターハイ)都大会で、個人戦各階級優勝と、団体戦で上位2校に入り全国大会に進むことだ。新3年生は7月の金鷲旗大会、8月の総体インハイで全国規模の大会は引退となる。途中、予選負けでは終わりたくない。

5月26,27日の都大会個人と6月10日の団体戦に向けて、体調と体重の自己管理、技の研究、持久力、筋力、体幹の鍛錬など、安田柔道部の再始動は熱くなってきた。
川合先生作成のスケジュール表は「残り110日、109日・・」と日別に記され、寒稽古、出稽古、講道館、春休みの関西遠征など行動計画も余念が無い。目指せ!全国大会だ。

安田気質は「強制的にやらせる」でなく「自主的にやる」だ。「手抜きやズル」も「一途や真面目」も己の裁量である。自らの課題の克服に一日一日を過ごし切るだけである。

「一途な彼ら」を見守るだけの私が、今出来るのは、先人が残した真理「珠玉の言葉」の伝道と、子どもたちの報告に耳を傾けるだけである。

一途な安田の面々と、大喰らいの階級変化模様









































2018年2月1日木曜日

にんげんりょく

スマホを離せない人が当たり前のようだ。電車でスマホ、会社ではPC業務、自宅でスマホ、PC、ゲーム、動画。これらに費やす時間はおそらく「人との接触時間」を越えている。メール、チャット、SNSを駆使すれば、1日に1度も声を出さないで済んでしまう。

あくまで私見だが、会話が乏しい方の傾向として「話下手」「聞き下手」「表現下手」が多く「無表情で声が小さい」もある。勿論、会話減少がスマホが原因と言うつもりはないが、子ども時代からの使用は「ヒトとの会話」を減らしている一要因ではある。

友人の日本プレゼン・スピーチ協会の荒井理事長は「人の話を聴く」と「人に話をする」ことは、相手と「命」をやり取りをすることだと言う。つまり「命=時間」。聴くことは、相手に時間(命)を差し出すことで、話すことは相手の時間(命)を頂戴することである。真摯なやり取りをしなければ、勿体無いし、相手に対して申し訳ない。

真摯なやり取りとは、スムーズな会話のことでなく、聴いてくれ、話してくれて「有難う、良かった」と思い合えること。その為に魂こめて五感で会話をすることだ。我々は地上最強の哺乳類上の「ヒト」であるが、ヒトとヒトの間に生きる「人間」でもある筈だ。

勿論、我々は「人間」として常に発展途上であり完成形ではない。未完成ゆえに「上っ面の会話と接触」は、相手の受け止め方に違いが出てくる。だから言動による被害者と加害者の過剰反応が横行する。受け止める感性と、好きか嫌いかの背景もあり、だれも真実は分からない。しかし加害者にならない為には「相手への気遣いしかない」のは事実。

「世の中」渡るには全て相手がいるわけで、無人島でもない限り「自分ひとりの起承転結」は限られる。だからこそ相手を想った「命のやり取りの会話」「五感で会話」を心がけ、仲間と、刺激しあい、励ましあい、認めあい、喜びあう方が良いにきまっている。

まず、些細なことから会話をはじめる。「苦手な相手」とはその方の「人間的側面」を知らない場合が大半だ。重要なことは「自分を分かってもらう」でなく「相手を分かろうとする」会話を肝と命ずることだ。そうすると、相手が違って見えることに驚く筈である。

人間力を育む達人たち「相田みつを」と「坂村真民」の言葉が、今更ながら身にしみる。













2018年1月18日木曜日

故郷を思う。

毎年、富岡八幡宮で初詣が恒例だったが、暮れの悲惨な刺殺事件のニュースに、我が家は満場一致で、富岡八幡宮初詣は中止となった。

他で初詣となり、スポーツの神として有名な「亀戸の香取神社」に出かけた。「勝ち守り」を求めるスポーツ選手も多く、家族それぞれに打ち勝ちたい祈願に最適であった。思えば、全国色々な処で初詣をしている。

広島時代は「厳島神社」によく行った。「パワースポットって本当にある!」と実感した場所で、いつ行っても不思議と心地よいので、家族で年に10回は宮島に出かけていた。

娘は、広島の生活が大層気に入ったようだ。ゆったりと時間が流れ、人は優しく、気候も穏やかで、小学卒業と中学入学での広島生活が、彼女のおっとりとした素朴な性格を醸成したと思う。浦安に戻り中2年で転校すると、かつての親友は中学から学区外に通っていた。皆、偏差値は高いのだが、大人びた女同士の妬みや競争世界に戸惑っていた。

完全マイペースの娘は、大学の建築科で海洋設計士の道を選びコツコツとやっている。全国都道府県の土木課が建設する「橋」には欠かせない学問で「就職にも困らず、将来は大好きな広島に住めるから」と言われたのには正直驚いた。


故郷は遠きにありて思ふもの




途中転勤で居は変われども、新浦安に家を持ち15年、夢の国は年間パスポートで楽しい思い出が一杯だ。先日、娘は念願のミッキーたちとのTDLの成人式にも出席できた。ところが、娘の感激をよそに下の息子は、柔道理由に住所変更して過ごした市川七中が好きで、成人式は市川市で出たいという。どうやら彼の地元は「市川」のようだ。

私自身、15歳で静岡を離れ高校・大学・会社と延べ48年間の内訳は、全国行脚で23年、東京勤務で25年だ。転居も17回もすれば完全な風来坊である。どこが地元か分からない。地元の認識が、娘と息子と家内とそれぞれ異なるのも当然かもしれない

経験と共に「地元の認識」も変わるようだ。共通点は「良き思い出が多く郷愁を感じる処」が、自分の故郷になるのだろう。私などは忘れがたき故郷は、いまや4箇所はくだらない。

ずっと故郷の方には関係ないが、生まれ故郷が「今がつらくて帰りたい」は避けたいもの。故郷は何かを頼ったり、逃げ帰る場所ではない。自分を育んでくれた人々への感謝が、昇華され「大切な思い出」として、いつまでも懐かしむ場所として存在してほしいものだ。

さて、皆さんの「心の故郷」はいかがでしょうか。

思い出の数が故郷













2018年1月1日月曜日

2018年も冒険だ!

新年明けましておめでとうございます。恙なく新年を迎えられますのも、一重に皆様方のお陰と深く感謝申し上げます。


生活研究所2017年度の話題の順位は、1位インスタ映え、2位将棋、3位ドローン、4位格安スマホであった。そして今年のヒット予想は1位格安スマホ、2位高齢ドライバー事故防止、3位宅配ボックス、4位ドローンとなっている。

自動車の自動停止装置普及は、保険会社の事故保険の見直しを迫り、電気自動車拡大は関連企業の存続や環境を変えていく。高齢ドライバーの免許証返納は、タクシー、バスの返納者向け割引制度や、バス乗り放題パックなどを目論む。

新たな市場は、衰退する産業と隣り合わせで、挑戦の見極めと決断の加速が大切になる。挑戦しても、途中での早期撤退も肝要だ。我々は今までの経験で未来を予測するので、未知に臆病になり「今までが」や「今が」に固執する。

ようは、なかなか冒険出来ないのである。昔、警察幹部の方から「一流詐欺師」の話を聞いたが、ヒトは「身の丈」を超える大きな判断事ほど、自分で決められず他人の言葉に左右されるらしい。人生の大英断に「大丈夫!」の無責任な詐欺師の一言でコロッと騙されてしまうらしい。決断は自分でするしかないのだ。

ターゲットの「身の丈の判断基準は?」と尋ねたら「自分で手にしたことがある現金」と返ってきた。田辺だと今までに手にした数百万円が「身の丈の想定額」か。投資効果のない餌食なので、詐欺師には縁がない。

しかし身の丈を意識して、冒険せずに小さく纏まるのは最悪だ。成功への開運には、大胆に進化・変革への冒険をしないと始まらない。「運」は自ら掴み取るもので、与えられるものでない。特に若者は「身の丈」自体が無限の可能性。現在を起点に考えず「人事を尽くし天命を待つ」から「天命を信じて人事を尽くす」に徹することだと思っている。



世の中 運が良い人と、運が悪い人など存在しない。

運が良いと思う人と、運が悪いと思う人しかいない。



偉そうに書いたが、安田学園柔道部の息子たちをみて、素直にそう実感する。浮世のしがらみから離れ、クリスマスから年末までの大会、遠征、大晦日の越年稽古と、ひたすら練習に明け暮れるのも、夢の実現を信じるから今を必死に過ごせるのだ。

そう、今の努力は間違いなく「己の進化」は保証してくれる。勝利に近づく唯一の道であることも間違いない。新3年生は、最後の高校柔道全国大会。2年生になる息子もあと2回しかない。挑戦者には「悔いある1日」など存在しない。


迎えた2018年。
63歳翁も、全ての物事を前向きに捉え「自分は運の良い人だ」と信じ努力していきたい。
今まで以上に、社業と家業にまい進する覚悟でおりますので何卒、倍旧のご支援ご指導と、お引き回しのほど宜しくお願い申し上げます。平身低頭。

良運を信じる人と!