2018年2月1日木曜日

にんげんりょく

スマホを離せない人が当たり前のようだ。電車でスマホ、会社ではPC業務、自宅でスマホ、PC、ゲーム、動画。これらに費やす時間はおそらく「人との接触時間」を越えている。メール、チャット、SNSを駆使すれば、1日に1度も声を出さないで済んでしまう。

あくまで私見だが、会話が乏しい方の傾向として「話下手」「聞き下手」「表現下手」が多く「無表情で声が小さい」もある。勿論、会話減少がスマホが原因と言うつもりはないが、子ども時代からの使用は「ヒトとの会話」を減らしている一要因ではある。

友人の日本プレゼン・スピーチ協会の荒井理事長は「人の話を聴く」と「人に話をする」ことは、相手と「命」をやり取りをすることだと言う。つまり「命=時間」。聴くことは、相手に時間(命)を差し出すことで、話すことは相手の時間(命)を頂戴することである。真摯なやり取りをしなければ、勿体無いし、相手に対して申し訳ない。

真摯なやり取りとは、スムーズな会話のことでなく、聴いてくれ、話してくれて「有難う、良かった」と思い合えること。その為に魂こめて五感で会話をすることだ。我々は地上最強の哺乳類上の「ヒト」であるが、ヒトとヒトの間に生きる「人間」でもある筈だ。

勿論、我々は「人間」として常に発展途上であり完成形ではない。未完成ゆえに「上っ面の会話と接触」は、相手の受け止め方に違いが出てくる。だから言動による被害者と加害者の過剰反応が横行する。受け止める感性と、好きか嫌いかの背景もあり、だれも真実は分からない。しかし加害者にならない為には「相手への気遣いしかない」のは事実。

「世の中」渡るには全て相手がいるわけで、無人島でもない限り「自分ひとりの起承転結」は限られる。だからこそ相手を想った「命のやり取りの会話」「五感で会話」を心がけ、仲間と、刺激しあい、励ましあい、認めあい、喜びあう方が良いにきまっている。

まず、些細なことから会話をはじめる。「苦手な相手」とはその方の「人間的側面」を知らない場合が大半だ。重要なことは「自分を分かってもらう」でなく「相手を分かろうとする」会話を肝と命ずることだ。そうすると、相手が違って見えることに驚く筈である。

人間力を育む達人たち「相田みつを」と「坂村真民」の言葉が、今更ながら身にしみる。